いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

「彼ら」が無人島に漂着したら

2008年09月14日 12時38分59秒 | 俺のそれ
ある船が嵐で遭難し、無人島に漂着した。
助かった乗客100人が島に上陸した。そこで生活しながら、救助を待つことにした。食糧や水を集めたり、寝床を作る作業などを全員で手分けしてやらねばならない状況だったが、ここにある一団が登場したのであった。
彼らは「団結市民革命連帯同盟」という、ちょっと変わった名称のメンバーであった。

彼らは言った。
(カッコ内は周囲の心の呟き)

我々は共に連帯している者です。
(一体何なの?、それ)
労働は快楽や生きがいがなければ受け入れられません。
(ハア?そんな状況なの?)
我々には労働を拒否する権利もあるのです。
(あぁ?みんなで手分けしてやらないと、生きていけないでしょ?)
と同時に、生きる権利も保障されなければなりません。
(とりあえず生き抜くしかないのは確か)
そういうわけで、連帯しているメンバーは何もしません。
(●ね!)
食事は全員平等に分けられなければなりません。
(やっぱ、●ね!!)
そゆことで、我々がゴロンゴロンしている間に、
皆はせっせと働き食事を運んできて下さい。
我が同盟の声明は以上です。
(クぅ~~、コイツら今すぐ●ね!)

・・・・・・

そうして「団結市民革命連帯同盟」のメンバーたちだけが、好き勝手にゴロンゴロンしているだけで、何もしなかった。
他の人々は、全員不満を訴えた。
どうして、何もせず働くこともないのに、彼らに食事を与えねばならないんだ?
何か作業を手伝えるはずなのに、それを拒否するのは卑怯だ。
どうして食事や利益享受は全員平等なのに、作業は平等ではないんだ?

彼らの主張を許すべきなのだろうか?
もしも許さないとすれば、彼らをこの集団から追い出すべきなのではないか?
もし許してしまうなら、明日から誰も作業をしなくなる。
他の誰かが働けばよい、ということになってしまう。
そうなると、互いにチキンゲーム?
どっちが我慢できずに働きはじめるか。
となると、自分だけ食う為に、こっそりとやるようになるのか?
それはつまり、「自分さえ良かったらいい」ということを呼び込むのでは?
「自分だけ助かればいい、食事は自己責任」ということを助長してしまうのでは?

・・・・・・

魚を3匹獲れた人も、ゼロだった人も、1匹だった人も、分配は「平等に」行われるのが望ましいだろう。それは一緒の作業に参加し、ある時は3、0、1匹というふうにバラツキがあるが、他の時にはまた別だからだ。獲得した成果に応じて分配してしまうと、多い時は良いがゼロの時に結局困ることになるからだ。
だから、参加したことに対する分配は、平等にした方がいい。成果や能力に応じて分ける必要はないのだ。多く獲れる人には称賛が与えられる。みんなが感謝し喜んでくれるのが、大きな報酬なのだ。

けれども、それは一緒に働くことに参加したことへの分配なのであって、何もしない連中に分けるほどの余裕はない。保護されるべきは、満足に動けないような老人や、小さな子どもや、妊婦や、力の弱い女性などだ。彼らは魚や獣を獲れないが、代わりに料理や他の人の面倒を見る等の「集団生活」への貢献があるのだ。
そうやって集団への参加を継続しているからこそ、ともに食事の分配を得るのだ。

しかし、はじめから「やる気のない者」「貢献したくない者」「参加を拒否する者」に分け与えることなどできるのだろうか?

・・・・・・


「団結市民革命連帯同盟」のメンバーが意思強固であるなら、集団から分離されるかも。
次の段階として、メンバーは「それでもオレは労働を拒否する」と言い張り続ける。
仲間同士で
「労働には生きがいが必要だよな」
「快楽を見つけられないくらいなら死んだ方がマシだよな」
と慰めあう。
次第に栄養失調で動けなくなっていき、餓死するだろう。
メンバーにとって重要なのは、食事よりも、思想であり、理想社会であり、生きがいである。その意思を貫いて餓死するのであれば、それは本望であるかもしれない。



「団結市民革命連帯同盟」のメンバーのような生き方がいいと思うか、他の人たちのように「やりたい、やりたくない」には関係なく、生きる為には止むを得ないということを受け入れて、自分のできる作業や労働を行って食べていくか、どちらか選ぶことが必要だ。


君は「団結市民革命連帯同盟」のメンバーになりたいか?
Yes,of course!!

と答える誰かがいるに違いない。



やはり中国製品の安全性に疑問あり(追記後)

2008年09月14日 11時23分12秒 | 社会全般
やっぱりな、と誰もが思うかも。
食品に続きお酒もまがい品だったらしい。

安酒があっという間に高級酒に、ニセ酒製造業者の極悪テクニック―江蘇省徐州市(Record China) - Yahooニュース

(一部引用)

ニセ酒造りの方法はカメに詰められた安酒を二重にしたストッキングで濾すだけという単純なもの。ただし高級酒特有の香りを出すために人体に有害な腐食性の酸を加えるのがポイントだとか。ニセ酒製造業者は健康被害を出さないよう入れる量を加減していたと供述している。酸が入った容器には「5年、1回」の文字が入っており、5年物のマオタイ酒の場合、1回までしか入れないようにという意味の注意書きだったという。

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あっと驚く為五郎~
というのは関係ないけど、「安酒が あっという間に 高級酒」って、何かの標語?みたいな感じ(笑)。

な?だから言ったでしょ?
別に肉まんやギョーザだけじゃないんだって。ラベルを騙るくらいならまだしも(悪いことは悪いんだけどさ)、味を似せる為に危険な薬品みたいなのを入れるのはやめて欲しいよね。殺す気か!

ま、ギョーザは偽装ではなく「意図的混入」という工作だったかもしれないから、こういう食品偽装事件とは違う種類の出来事だったんだけど。

参考記事:

ギョーザ事件に見る中国の強弁

中国ギョーザ事件と日中関係

続・中国ギョーザ事件と日中関係

この最後の参考記事には次のように書いた。

『大体、「ダンボール肉まん」が作られるような国なんだよ?
あの時も、急に公式発表を行って、「番組のヤラセだった」という形に落ち着けたわけだが、多分ヤラセなんかじゃなかったろう。あれは、本気でやっていた人たちだと思うよ。肉まんだけじゃなく、他の色々な食べ物で偽装が行われているのが常態化しているのだよ、中国は。農薬だの、消毒薬だの、その他薬品類だの、厳格に行われていないことは多々あるだろう。だから、「何を食べて中毒症状が出たか」なんてことは、殆ど捜査されないと思う。そんなことをいちいち真に受けて取り上げていたら、「ハラ痛の人たち」であふれかえるよ(笑)。』


一つ前の参考記事では、このように書いた。

『当時の中国側が最優先するべきことは、「中国製品には違法な物質が含まれているので危険だ」という噂が世界的に広まるのを防ぐことだった。風評被害が続出すれば、中国からの輸入を大幅に削減されるからだ。ギョーザやウナギやその他食品ばかりではなく、玩具だの、医薬品(例えばヘパリンがあった)だのといった、様々な品種で疑問を抱かれていたので、中国製品への悪影響を第一に考えたものと思われる。』


欧米の中国製品への見方は、更に厳しくなっているであろう。

中国の粉ミルク汚染、全国的な広がり…患者は432人に(読売新聞) - Yahooニュース

で、こういう警告>
米FDA、中国製の粉ミルクを飲ませないよう警告(ロイター) - Yahooニュース

(一部引用)

FDA当局者らは、米国では中国製粉ミルクの販売は禁止されているものの、国内の中国人消費者向け市場に入り込んでいる可能性があると指摘。見つけた場合は購入や使用を避けるよう注意を呼び掛けている。FDAのジャニス・オリバー氏は「粉ミルクの一部が不法に輸入され、中国人コミュニティー向け市場に持ち込まれている可能性を懸念している」とインタビューで語った。

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既に販売禁止措置がとられているのに、不法輸入等で持ち込まれている、ということに懸念しているようである。中国系ネットワークは米国内でも割りと強固なのであろう。だからこそ、こうした警告を発することになってしまうのだ。


こうなってくると、中国製品の「何が安全か、大丈夫なのか」というのが、まるで判らず、不安や恐怖心だけが広がるということになってしまうだろう。



ちょっと追加:

これも中々面白い。

<調査結果>7割近くが「正直者は損をする」と認識―中国(Record China) - Yahooニュース

(一部引用)

社会的価値観については、大多数の人が「家庭生活の快適さと仲の睦まじさを重視している」(91.6%)、「もっと多く収入を得たい」(88.3%)、「個人の才能を十分に発揮している」(82.1%)、「プライベートの楽しみを追求する」(79.4%)としており、「社会のために大きく貢献したい」と考える人は77%を占めた。また、3分の1以上の人が名声を求め、4分の1の人が権力を求めていることもわかった。

特に注目すべきなのが、「苦労なくして成功なし」という道徳概念は大多数の人が否定しており、これに同意した人はわずか26.1%。人々が「才能」に対して新たな認識を持っている表れでもあり、享楽主義の傾向が表れている。

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端的に言えば、どんな手段を使ってでも成功すればいい、金と名声と権力を手に入れた者が勝ちだ、ということなのだろう。超実利志向っぽい。

けど、実際そういうもんかもね。
汚かろうが何だろうが、あの手、この手が使える人が実力がある(=やり手)人という評価になるのだろうし、そうやって成功を掴めた人間は金も名声も手に入れてるし、金に伴って権力も近づいてくる、ということなのだろう。このことは、昔ながらの漫画に登場するベタな「悪役」には共通事項であったからね。生き方としては、こういうモロ悪役の人が強い(勝ち?)ということだ。奇麗事なんかくそ食らえ、ということだ。

世の中とはそういうものなのだ、ということをよく表している。
中国の儒教っぽい観念?みたいなものは、現代中国では到底通用しないということなのかもしれない。