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ギョーザ事件に見る中国の強弁

2008年03月02日 17時35分44秒 | 社会全般
簡単に言えば、「こっちは悪くはない、原因はそっちだ、そっちで責任取れ」というのが中国の言い分。
中国への非難を防ごうとするあまり、こうした強弁をしてしまうのだろう。日本側に問題がある、と言いたいのだ。更に、両国間の関係にまで言及するあたり、政治問題化させようとしているのは中国であるかのように見受けられる。が、こうした中国当局の対応の慌て振りを見るに、問題の本質を理解できておらず、これで仮に謝罪を免れたとて「敗北決定」というのは間違いなしだろう。稚拙だということ。責任を日本に押し付けることが結果的に完敗を確定するであろう、ということだ。

たとえば、こんな記事。

毒ギョーザ事件「日本人の仕業」 中国のネットで非難大合唱(J-CASTニュース) - Yahooニュース

共同通信記者が仕立て上げられたとか、日本国内での混入とか、都合のよい情報がばら撒かれる、ということが起こってしまう。これも一種の集団分極化かもしれない。更に、警察庁長官自らが怒り、「看過できない」とまで言わせたのも大失着だろう。


ギョーザ事件 中国、データなき強弁(産経新聞) - Yahooニュース

袋の透過性の実験等についても、中国側に都合のよい結果を出してくるということが、かえって逆効果であるということが中国側当局の人間には判らないのだろう。



中国は日本の消費者を判っていない(笑)。日本人消費者たちの考え方や受け止め方、行動などについて全く理解できていないであろう。中国がこのまま「中国側には一切責任がなかった」ということを言い続け、中国国内で「我々はいかに正しかったか」という情報を振りまいて、勝手に勝利宣言を出すことは簡単であろう。現状のように、中国国内には問題がなかった、という情報を何でもいいから出し続ければいいだけだからだ。情報戦で勝利することが部分的には可能かもしれない。日本の情報発信力は弱いからね。

しかし表向き「中国は悪くない、我々が勝利した」ということを喧伝できたところで、日本の小売店の店頭からは、中国産品の大半が姿を消すだけだろう。中国の実験が正しいものであったかどうかといった瑣末な論点など関係がないのである。たとえその情報を中国国内とか海外に向けて強弁できたとしても、日本の消費者たちは誰も中国製ギョーザを買いたいとは考えないだろう(笑)。それほど日本の消費者というのは厳しい。

BSE騒動のことをよく調べて研究してみた方がいいだろう。中国当局の役人には、日本の消費者の厳しさとか安全指向について理解できていない。中国国内ではそれで十分商売になるであろうし、やっていけるだろう。しかし、日本の市場からは絶対に認められず、排除されるだろう。牛肉騒動では、1例の被害も出ていなかったアメリカ産牛肉が姿を消した。輸入再開までには長い時間を要した。焼肉店や精肉店などは風評被害を受けたりしたであろう。それくらい厳しいのである。客が買いたがらないので、店頭から排除されてしまうのはしょうがないのである。日本の消費者に一度疑いの目を向けられると、そこから脱出するには何倍もの努力を要するのである。

付け加えるなら、中国産食品の安全性についての試験結果などが出されたとしても、多くの日本人消費者はそれを頭から信じるということはないだろう。平たく言えば、「あなたは信頼できる人かどうか」みたいな視点で判断していることが多いからではないかと思う。日本の消費者に認めてもらうには、「この人の言うことなら信頼してもいいわね」というような、本当の意味での「信用・信頼」が作られることが必要なのである。単純な「透過性試験の結果」みたいな数字やデータの類ではないのである。もっと「野生の勘」に近い、「コイツは本当に信用できるか?」というような感覚で見ているのではないかと思う。なので、いったん「ああ、コイツはダメだ、ウソを言っている、だから信じられない」みたいに認定されると、回復するのはかなり困難なのである。たとえいくらかは真実を言ったとしても、先にウソを言っていたという事実がある限り、その後には決して信じてもらえなくなるのである。日本の消費者の信頼を大きく裏切ると、その後の対応は極めて厳しいものが待っているだろう。


なので、中国当局の役人たちが自分たちの安全性を強弁すればするほど、日本では中国産食品を買う人の数は減っていくだろう。唯一助かる方法は、「こんなに頑張って安全対策をやりました」「本当の正直者です」ということを思う存分見てもらって、それを認めてもらえることであろう。情報が出てこないとか、実態がよく分らないなどという隠蔽された部分がある限り、中国側の主張が論理的であろうが証拠に基づいていようが関係なく、信頼回復となることはないだろう。「コイツはどことなく怪しい」という気分が抜け切らないと、日本の消費者には受け入れてもらえないだろう。

中国側にはそういうことが分っていないのである。彼らの正しさを声高に主張する姿こそ、確実に日本の店頭から中国製食品を駆逐する原動力となっているのである。彼らの言い分が中国国内で勝利し日本で話題にものぼらなくなる頃には、日本国内から中国製食品の大半が確実に姿を消しているだろう(笑)。

◇◇◇


ところで、この事件はよく判らないのだが、昔にあった「青酸カリ入りコーラ」事件を思い起こすな。電話ボックスとかに置き忘れのようにコーラの瓶があって、一見すると新品のように見えるのだが実は毒入りだった、という事件だ。うっかり飲んでしまった人が死亡した。何度か起こったと記憶している。目的とかそういうのはわからないが、不気味な事件だなと思った。

ギョーザ事件についてちょっと考えてみる。

①意図的ではなく、単なる事故である場合

事故なのだから、どこかに薬物の混入する過程が存在しているはずである。が、原材料に起因するのであれば、袋の外側には付着することは考え難い。何かの野菜などに混入していたのであれば、その時同時に製造されたギョーザの大部分に混入が確認されるはずである。たとえば1袋10個入りだと、同一の袋の10個のうち数個で同時に確認される、ということだ。しかし、必ずしもそうではないようである。よって、肉や野菜等の原材料に誤って混入していた可能性というのは極めて低いと考えられるだろう。

袋や容器の製造過程ではどうであろうか。
もし袋の製造工程で付着する可能性があるのであれば、袋から検出されるのは妥当である。付着していない袋が存在している可能性があってもよい。しかし、袋に付着が確認されず、冷凍ギョーザ本体のみから検出された例があるのであれば、やはりギョーザ本体に混入していることになり、袋の製造には関係がないということになる。この可能性も低いとみるべきだろう。

②意図的に行われた場合

偶発的な事故という可能性は、現段階ではかなり厳しいと思われる。そこで意図的に行われたものとして考える。
人為的に混入されたのであれば、何の為なのか、どうやって混入できたか、ということが重要であろう。
目的に関しては、青酸カリ入りコーラで目的がはっきりしなかったように、ギョーザについても不明確な部分は多い。コーラの場合にはアメリカ人が日本人に対して何かを意図して入れた、ということはないように思うので、中国人が日本人に対して何か特別の意図を持っていたとも思わない。もしも日本人の無差別殺戮を企図するなら、もっと強力な毒物を入れておけば確実であるし、混入させる量をこんなごく一部ではなく、何箱分も入れた方がいいに決まっている。

◎つまり、殺害目的としては、あまりに量的に(一つ当たりではなく混ざっている範囲)少なく毒性も少なすぎる。

もしも実行者が日本人の無差別殺戮のような目的を持っていたのであれば、もっと違う方法を取っていたであろう、ということ。では、何故このようなことを行ったのであろうか?

一番困るのは誰だろうか?ということを考えてみる。今のところ、
a)中国(政府)
b)中国の企業
c)日本の企業
である。

a)であると、中国製品への信頼を失わせること、日中の「離間の計」(笑)、というのがある。
b)であると、会社や経営陣・上司などへの怨恨など。
c)であると、日本企業への怨恨、日本企業への妨害工作など。

目的はあまりよく判らない。


薬物の汚染状況であるが、肉眼的に見てはっきりと判るほど「袋の外側」に付着していた製品があったことから、極秘に人体への被害を目論んでいたものとも思われない。製品の食材部分に汚染がないのに、袋に付着しているというのは、残留農薬という可能性は低いと考えざるを得ない。逆に、袋には付着がなく、ギョーザの皮や具の部分に含まれていた製品もあった。

製造工程で意図的に混入するのは、生産ラインの複数の人間が見ているので共謀者たちが必要となるかもしれない。複数の人間が同時に関与しないと実行が難しい、ということでもある。袋詰め作業の部署で混入させたとして、ギョーザにも袋にも付着することが可能かもしれないが、その後の検査工程で袋の外側がベタベタになっていれば誰でも直ぐに異常に気付くであろう。
そうなると、工場の生産ライン途上で薬物を混入させようとするのは割りと難しいかもしれない。

では、一体どうやって混入することができたであろうか?

普通に考えると、生産ライン上では薬物を混入させなかった、ということであろう。もし意図的に行うのであれば、袋、ギョーザを用意できれば実行可能であると思う。作業する場所が別にあればいいだけである。汚染されたギョーザ製品をすり替えるか、追加しておけば済むだけである。
犯人たちは元々「ギョーザだけに薬物を混入しようとした」ということだと思う。しかし、杜撰かつ稚拙だったのだ、犯人グループは。高度に訓練されていたとか、薬物操作に慣れているとか、そういう人間ではなかったということだ。もっと大胆に、大雑把に薬をぶちまけるタイプの人たちだ、ということ。ひしゃくですくった農薬を撒く、みたいな作業しかできない水準である、ということだ。計算した必要量をピペットで厳密に計量して混入する、などというタイプの人間ではないということだと思う。

生産ラインとは全く別に、同じ袋、同じギョーザを用意できればよい。別な場所で薬物を混入するのだが、大雑把に操作するので時々大胆にかけすぎてしまったり、薬瓶を倒してこぼしたり、みたいなことがあったのだろうと思う。すると、「作業している手」や「用意しておいた袋」などに薬物が多くかかってしまうということが起こりえるだろう。袋の外側がベタベタになっていたのは、多分こぼしたからだと思う。面倒だからふき取りもせず、そのまま製品群の中に忍ばせたのだろう。冷凍庫内で冷えてしまうと固くなるだろうし(凝固点を調べてないので凍るかどうか知らないけど)、そうなれば出荷されて温度が上昇する時点までは薬物でベタベタだということにも気付かないかもしれない。で、薬物で汚染された手で多数の袋を触ったりしているので、袋の外側にしかついていない製品がいくつもあったのだろう、と思う。本当の狙いはギョーザの部分であったのは確かなのだが。でも、あまりに過量になるほどには入れなかった。それは「いかにも残留農薬のせいだ」と思わせられなければならないからだ。薬をぶちまけたみたいに大量に混ざっていれば、残留農薬なんかではなくて、明らかに意図して混入した以外に可能性はなくなってしまうからだ。あくまで残留農薬という疑念を抱かせる程度の量でなければならないはずだろう。

もし計画的で用意周到で狡猾な犯人であるなら、ベタベタになった袋を使うことなどなかったであろう。発覚を恐れるからだ。しかし現実には違っており、そういう知的水準ではなく、発覚の危険性すら考えない、いい加減で大雑把なタイプの人間の犯行としか思えないのだ。これは依頼者が別にいて、実行犯はもっと愚かな人間が指示されてやったものと考えていいのではないか。工場内部の人間かどうかは不明だし部外者かもしれないが、袋とか製造月日の打刻などは必要になるのと、完成品のところに必ず戻さねばならないので工場内に侵入しなければならなかったであろう。
侵入は日中であっても不可能とも思われず、
・目だけ出して顔が見えず、個人の区別がつきにくい
・人員が多く交代制などで互いに知らない人間がいるかも
・製品を運んでいくだけなら、誰も怪しまないかも
というようなことがあるかな、と。

箱詰めされた完成品は出荷されるまで多分どこかの冷凍庫に保管されると思うので、箱ごと製品をすり替えることが可能ならば、外部で薬物を混入するという方法で実行可能ではないかと思う。生産ラインの人間に犯人がいる必要性がない、ということかと。




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