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あるコメント

2008年09月10日 22時44分29秒 | 俺のそれ
医師の皆さんは誠実さを求められることがお嫌ですか? - 元検弁護士のつぶやき

ちょっと以下のコメントを書きました。

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差し出がましいですが、失礼します。
ここ暫くは書き込むのを控えておりました。幾度かコメントを書いたものの、投稿直前に消しました。常連の方々がどうにか収拾をつけるかもしれない、と思い止まったからです。が、受忍限度(笑)を超えたので、やはり書くことにしました。あくまで個人的感想ですが。

ゴチャゴチャ書いている医師と思しき方々が「何を見ているか」というと、自分、自分の狭い周囲、字面、みたいな感じです。司法・マスコミ・警察などへの恨みつらみみたいな心情や「判ってくれない患者」たちへの苛立ちのようなものが判るだけで、残念ながら得られることが何らありません。前にも無駄な批判は程ほどにしとけ(超意訳ですが)とコメントに書きましたが、そのことの意味が未だに判っていないようです。
事件の担当弁護士のご意見が出ていましたので、是非お読み下さい。
http://obgy.typepad.jp/blog/2008/09/post-1341-32.html


結局のところ、必要なのは「信頼を勝ち取る」ということなのです。それが誠実ということなのであり、文句を並べている連中は「自分以外の人たち」のことを考えて行動(コメント記入)していない、ということです。彼らがやっていることは、医療側への信頼を失わせ、医療人の言論の信用を貶める効果があるだけなのだ、という自覚が欠けているのです。裁判を乗り越えることで信頼を得られるところまで来たのだから、少なくともこちらの「話を聞いてくれる」という地点まで漕ぎ着けたのだから、ここで慢心せずに「誠実に」議論をしていきましょう、ということの意味が判っていないのです。簡単に言えば、「勝った、勝った」と我が手柄の如く言い募り、司法側(警察含む)やマスコミへの反撃を行っているだけなのです。その行為こそが、再び医療側の信頼を失わせてしまうものなのだ、という認識がない。

「法」というものをお考え下さい、というお願いをしたことがありますが、私から見ても「法」をナメているとしか思えません。私自身、法というものが何なのか、みたいな哲学的なことはよく知りません。しかし、私のような素人でも判ることはあります。無知蒙昧な素人衆が、いくら掲示板やコメント欄などで喚きたてようが、検察や裁判所をバッシングしようが、そんなものは屁でもありませんよ。そんなことで「法」は動かすことなどできません。最も難関の司法試験をダテには通っていませんよ。法の理論は、そんな簡単なものではないでしょう。法をナメた連中の為に、本件判決文を書いたわけではありません。
医療サイドを信じますよ、誠実さを信じた上で尊重するように配慮しますよ、という「譲歩」がようやく得られたというのに、ごく一部の人間が「その他大勢の努力してきたこと」をぶち壊そうとしているのと同じなのです。

これまで私は、素人のくせにモトケン先生やYUNYUN先生をはじめその他法曹の方々に議論のお付き合いをさせてしまったりしたことがあります。検察批判も、裁判所や判決への批判も書いてきました。最高裁判決にさえも、注文をつけたりしました(笑、恐縮です)。が、それは、理解をしてもらいたいと考えたからであり、長い時間をかけて説得を試みてきました。そのことに意味があったか、何かの効果があったか判りません。そうではあっても、これら批判には、根底に尊敬と信頼があってのことです。

私にとっての正義の象徴とは、大雑把に言うなら検察(検事)であり、司法なのです。判決を書く裁判官も当然含まれます。弱小個人に過ぎない私が、唯一(国家)権力と向き合う(対決する)ことが可能なのは、司法制度しかないのですから。なので、「法」すなわち司法に正統性を求めています。映画「ダークナイト」で正義の象徴となっていた検事が登場していましたが、そのことが痛いほどよく伝わってきました。

ですので、これまでの努力を無に帰するような言動を行うとか壊そうとしている人がいるなら、厳しく糾弾したいと思います。こう言ったの言わないの、どういう意図だのそうでないだの、そういうことの決着を付けた後(決着するかどうか判りませんけど)に、何を得たいのですか?「こういう言葉は不適切でした、申し訳ありませんでした」みたいに謝罪でもさせたいと?これでは某弁と何が違うのですか?
私には、こうした論争の意図も意義も判りません。個人のアイデンティティを守りたいだけなら、自分の領域でいくらでも好き勝手にやっていればいいことです。

「誠実にやっていくといいですよ」という字句を見たら、普通は「ええ、そうですね、信頼を得られるようにみんなで誠実にやっていきましょう」で、即終わりではないですか。何故、素直に反応できないのかが、全く判りません。反論することで、一体何を得たいのでしょう?「医療者は常に誠実にやっている」ということを証明したいとしても、反論すればそれが示せるとか相手を納得させられるとでも思っているのでしょうか?私の印象では逆効果でしなかなく、「オレが苦しんでいるから、お前も苦しめ」的な、荒んだ心性が顕れているようにしか思えません。「意を汲む」ということがまるで感じられず、コメントを返す相手以外の「その他大勢」がどのように見ているか・感じるか、ということへの配慮がなさ過ぎる、と思います。



拡大する医療過疎

2008年09月10日 20時06分37秒 | 社会保障問題
これがまさしく崩壊の一端か。

格差17倍、二次医療圏別「千人当たり医師数」(医療介護CBニュース) - Yahooニュース

「人口1000人当たり医師数は、二次医療圏別に見ると17倍の格差がある」―。日本医師会総合政策研究機構(日医総研、竹嶋康弘所長)はこのほど、「二次医療圏別に見た医師の偏在と不足」と題するワーキングペーパーを発表した。医師不足に関する基準の一つとされているOECD(経済協力開発機構)の「人口1000人当たり医師数」について、「大学医学部がある地域では人口1000 人当たり医師数が多くなる」「人口が減少している地方でも多く計算される」などと指摘している。

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不均等の一因としては、昔の医局支配の崩壊ということがあるのかもしれない。本人意思に反して地方の病院回りなどを半ば強制的に行われていたのが、個人の自由意志が優先されるようになれば、「誰も行きたがらない」場所ができてしまうのは当然なのかもしれない。

よくありがちであった医局批判は、機能していた人材派遣システムを崩壊させた。それを主導したのは、一体誰だったのか、ということを全ての人々が一度振り返ってみるといいかもしれない。


参考記事:

医療不審死の問題