カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

寺山展。

2014-01-20 22:41:40 | Weblog
今日、しごとから戻ると、『早稲田学報』2月号がポストに届いており、その71ページに、大隈記念タワー10階・125記念室で今月25日(土)まで開催中の「没後30年、いまだ知られざる寺山修司〈わが時、その始まり〉展」の案内が掲載されていました。時間が合えば、是非ともこの寺山展に行きたいものです。
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今日の夕空。

2014-01-20 16:51:53 | Weblog
しごと帰りの夕空。少しずつ日が長くなってきました。
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九曾(きゅうそ)勘左衛門のこと。

2014-01-20 05:47:27 | Weblog
森鴎外『渋江抽斎』『興津彌五右衛門の遺書』辺りがもしかしたら参考になるかもしれないとか思いつつ、九曾勘左衛門のことなど。九曾(きゅうそ)家と根胡(ねこ)家はともに大陸渡来の医家。九曾家の先祖は根胡家の先祖との出世争いに敗れ、その結果九曾家は長く不遇に甘んじることになる。根胡家は仮にその姓を表立って名乗らずともその血筋を引く者が必ず出世していく有力家系に。九曾、根胡を噛むの故事の生まれた経緯。幕末期、九曾家末代の勘左衛門のときに、幕府職制上、医事方(トップは根胡家)の下の下の端役であるものの、将軍御側仕えの御屁改めに登用される。勘左衛門は終始穏やかで優しい微笑を絶やさぬ文のひとだったが、最期、自らの腹を割っ捌いて武のひととして絶命し、九曾家は途絶える。九曾家歴代の墓山はその名前と存在をすっかり忘れられてゴルフ場になり、墓山のほとんどの墓は近在の寺に無縁仏として移されるも、勘左衛門の墓石だけは移すことができず、いまでもゴルフ場の片隅に忘れられてある。
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