カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

6時間。

2024-06-24 22:29:31 | Weblog
そもそも家にパソコンがないので、ネットカフェに6時間こもってそこのパソコンで集中的に懸案物の作成に当たり、仕上げて送信。取り敢えず不安懸念が払拭できて一安心。しかしながら、近頃パソコン打ちは仕事でもあまりしておらず、非常に疲れた。
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空色ぴりかさんの一首。

2024-06-24 14:25:24 | Weblog
歌誌『塔』六月号より。

庭を観るために降りたつ無人駅 ポストみたいな改札が立つ/空色ぴりか

まず、駅に降りたつ繋がりで、小中英之さんの有名な一首〈螢田てふ駅に降りたち一分の間(かん)にみたざる虹とあひたり〉を思い出した。小中さんの一首は滞空時間の掬い上げ方が実に巧くて見事だ。さて、こちらの作品の〈無人駅〉だが、昔はどの駅にも駅員さんがいて駅長さんがいてみどりの窓口のような受付もあったものだが、昨今は何かと効率化優先の叫ばれる社会へと変貌してしまい、駅員さんにもみどりの窓口のような受付にもなかなかお目にかかれなくなってしまった。駅間近に風光明媚な景勝地の〈庭〉がありながらも、乗降客数がいっこうに伸びず、鉄道会社の人員削減計画で無人駅となったのかもしれないが、作中主体は、名所の庭を観ようとそんな無人駅に降り立ち、庭を観る前に、ポストみたいな改札に逢い、ハッとするわけである。庭云々ではなく、思い掛けない〈ポストみたいな改札〉に心が動いて、このような一首を掬い上げた作中主体の心中がなかなか興味深い。
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相馬さんの一首。

2024-06-24 13:21:39 | Weblog
歌誌『塔』六月号より。

背伸びして柱時計のねじを巻く父の仕事の踏み台のこる/相馬好子

朝ごとに父が日課としている柱時計のねじ巻き作業。その柱時計は先祖代々の家のシンボルで、家中を見渡せる柱の高い位置に据えられているのかもしれぬ。家長としての父は、そのねじ巻き作業を矜持をもって行ってきたが、老いて背の縮んできた父にとって柱時計に手を伸ばして作業をすることはだんだん困難になってきているようで、いつしか踏み台を持ってきて使うようになり、最近ではさらにその上で背伸びもしているようだ。しかし、そのことで決して弱音を吐かない父。あの柱時計のねじを巻くのは家長であるオレの仕事だぞ、と父はいつも言う。ねじを巻き終わると、父は踏み台をヨイショと元の場所へ持ってゆく。そんな父の姿を、作中主体はハラハラしながらも誇らしく愛おしく見守ってきた。そんなある日、父は踏み台を戻し忘れた。いや、バランスを崩して踏み台から墜落してしまって病院へ担ぎ込まれてしまい、踏み台を戻せなくなったのかもしれぬ。結句〈踏み台のこる〉の余韻が実に深くて雄弁。
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手触り匂い。

2024-06-24 04:22:49 | Weblog

仕事から帰って来て、昼間予約録音しておいたNHKFMかけクラを再生。昨日のNHKFMかけクラの冒頭は、大野雄二さん作曲による〈「愛のバラード」〜映画『犬神家の一族』〉だった。大傑作『ルパン三世 カリオストロの城』の音楽でもそうだったが、大野雄二さんの書かれる音楽作品には大野雄二さん独特の魅力的な手触り匂いがあって、好きだ。今日は、とにかく懸案をやらねばならぬ。寝床のなかの自分へ繰り返し、そう言い聞かせる。そういえば、映画『九十歳。何がめでたい』の公開が21日から始まっているらしい。この作品、是非とも映画館へ見に行きたい。

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