カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

山中さんの蔵王のうた(メモ)

2006-04-17 22:35:21 | Weblog
 メモ。

 これから書くことは、他愛のないお遊びの「妄想」メモです。読み流してお忘れください。。

                *

 それは、すごく初歩的(?)な疑問から始まりました。。。

                *

 山中智恵子さんの歌集『玲瓏之記(もゆらのき)』に次のような一首があります。

わが蔵王つねに吹雪(ふぶ)きて夢のうちに月山叫ぶ月の神叫ぶ 山中智恵子

                *

 ここに詠われている「蔵王」とはそもそも何か・・・・・? ふと抱いた疑問です。

 山の名前。仏様の名前。いったい何だろう・・・・・・???

                *

《蔵王権現の旅》
(11月29日:蔵王権現の旅・・・金峯山寺蔵王堂)
http://spaces.msn.com/dr-gan/

(前略)

 蔵王権現は過去・現在・未来の三世救済の仏である.また,この蔵王権現というお方は正式名称『金剛蔵王権現』であり,曼荼羅世界の金剛界そして胎蔵界の両方を統括する王であるというのがその名の由来である.金剛界胎蔵界はもちろん大日如来が最上の仏尊であるが,その上の存在であるとしている.
 これは密教や仏教の考え方だけではなく,日本古来存在する自然崇拝がここに関与してくるのである.日本人にとって,神仏を超越した存在がある.それは『自然』であると...
 その自然を表したのが『金剛蔵王大権現』である.

(後略)

                *

 ■蔵王権現■
http://www.anecs.net/spirit/tera/hotoke/zao.htm

 昔、役行者(えんのぎょうじゃ)が大峯山中で地上で苦しむ人達を救う神を顕現するため、一心に経を唱えていました。すると最初弁財天が現れましたが、役行者はこれは破邪の神としては優しすぎると考え、もっと強い神が欲しいと更に祈りました。(この弁財天が天河弁財天です)
 次に現れたのは地蔵菩薩でした。地蔵は力の強い菩薩ですが、基本的には慈悲の仏なので、役行者はもっと荒々しい仏が欲しいと祈りました。すると、突然凄まじい雷とともに、憤怒の形相の仏が炎の中から現れました。これが蔵王権現です。(別説では最初が釈迦如来、次が弥勒菩薩、最後が蔵王権現であったとします。)
 蔵王権現はこのような経緯もあって修験道の人々に厚く信奉され、日本各地の霊山に蔵王権現が祀られています。スキー場やお釜で有名な山形宮城県境の蔵王連峰もそのひとつで、主峰熊野岳の頂上に蔵王権現を祀り、地蔵山・三宝荒神山には、各々の名の通りの仏も祀られています。
 蔵王権現の出処については、明王系の仏を原型にしているのではないかとか、胎蔵曼陀羅・虚空蔵院の百八臂金剛蔵王菩薩ではないか、といった説があるようですが不明確です。また神道系では少彦名命に結び付けています。

 (後略)

                *

 《蔵王権現の由来》
http://www.nobi.or.jp/y/hikoro/mukashi/1-27.html

 入谷のたら葉沢に蔵王権現という所があります。
 ここは、入谷を一望の下にながめられ、入谷一の景勝地といわれています。
 昔、病気で苦しむ山うばを助けたお礼にと、不思議な反物をもらいました。
 この反物は、一日に五尺ずつ切ると翌日にはまた元通りになっているという世にも不思議な反物で、これを万年バタといいました。
「反物の中には何が入っているのだろう?」
 中を見たくてたまらない一人の下女が、だれもいないあいだに、こっそりと反物をほぐして中を見てしまいました。
 しかし、中から出てきたのは、一匹の白い金蛇でした。
 そしてこの金蛇は山へ逃げ込み、清水の湧く大岩の下で息絶えてしまいました。
 そこでその蛇を「蛇王権現」としてまつりましたが、いつしか蔵王権現といわれるようになりました。

 (後略)

                *

 ■地蔵菩薩■
http://www.anecs.net/spirit/tera/hotoke/zizo.htm

 日本における仏教は常に神道とともに歩んで来ました。江戸時代末期に盛んになった国学の系統の人や水戸などの朱子学の系統の人がそれを批判し、明治政府ができてから、いわゆる神仏分離政策を行ったのですが、これは必ずしも正しいことではなかったのではないかという山折哲雄氏の主張に私は同感を覚えるのです。日本人にとっては生まれた時にお宮参りをし、死んだら坊主にお経をあげてもらう、というのがごく自然な感覚であり、これは西洋のreligionの翻訳としての「宗教」ではなく、日本の文化と一体の日本人の潜在意識に染み込んだ信仰なのだと私は思います。従って日本人の心の中に潜む霊的なものを明らかにしていく上では、神仏習合の概念を正しく理解しておかなければなりません。キリスト教徒で旧約聖書と新約聖書は違う思想で出来ているものだからこれを分離すべきだ、と主張する人は多分少数でしょう。
 そういった神仏習合の思想の中で、神と仏の中間領域に位置付けられて信仰された神や仏たちがいます。八幡大菩薩とか「だいこくさま」などといったものもまさにそういう領域にあったのですが、強権による神仏分離と過去の神道を破壊するかのような国家神道の時代を経ても、いまだに民衆の心の中に、しっかりと神と仏の領域にまたがったように信仰されているものもまだまだあります。その代表格が今回とりあげる地蔵菩薩こと「お地蔵さま」です。
 大分県の日田市の近くに高塚地蔵という所があります。小さなお地蔵さんですが、九州一円から参拝の人々が集まってきており参道はいつも賑やかで線香の煙がいっぱいです。最近すぐそばにインターチェンジができましたので、益々人が多くなるのではないでしょうか。
 ところでここで本題なのですが、ここのお堂の前で参拝している人を見ていますと、合掌する人と柏手を打つ人の両方がいるのです。若干合掌派が多いのですが、柏手派も相当います。これは何を意味しているのでしょうか?
 それは民間信仰においては「お地蔵さま」というのが仏なのか神なのか曖昧に捉えられていることを如実に表しているのではないでしょうか。そもそもここの高塚地蔵のお堂はほとんど神殿のような造りになっています。
 青森県の恐山は日本三大霊場の一つであり、賽の河原などもあって、入り口付近の太鼓橋より向こうは全てあの世という感がありますが、ここは三体の山を背景に地蔵堂が建っていて、これが又まるでその山がここの御神体ででもあるかのような感じです。
 柳田国男は日本人が「西方浄土」などといって死んだ人はずっと西の方にある阿弥陀如来様の国に行くのだと口では言っておきながら実は死んだ霊魂は山へ行くと信じているダブルスタンダートがあるのではないか、という分析をしています。この恐山のように死霊の赴く山というのは昔は随分あちこちにあったようです。今でも残っている所として四国の弥谷寺などがあります。
 そういう死霊のいる場所に地蔵がいるのはある意味で当然です。仏の身で自由に地獄におもむき、そこで苦しむ人々を助けることができるのは地蔵菩薩のみだからです。地獄の賽の河原で泣く子供の霊をなぐさめる地蔵菩薩の話が地蔵和讃に歌われています。ここで祖霊信仰と地蔵信仰の交わる所が出て来ます。
 仏教においては、地蔵菩薩は釈迦入滅後、56億7千万年後に弥勒菩薩が出現するまで六道(地獄道・餓鬼道・阿修羅道・畜生道・人間道・天道)の一切衆生を教化する存在とされています。よく六地蔵というのが立っていますが、これは六つの世界に現れた地蔵の姿を表わしたものです。この六地蔵には、宝珠地蔵・宝印地蔵・持地地蔵・除蓋障地蔵・日光地蔵・檀陀地蔵という名前が付いています。
 ところがこうやって建てられた六地蔵には道祖神の要素が混合しているように思います。道祖神は村の境界に建てられ、外部から邪悪なものが入ってくるのを防ぐ神なのですが、日本では古来より村の外部というのはある意味であの世であり、村の内部がこの世であるという思想がありました。そしてあの世にいるもののことを「鬼」と呼んだのです。そこで鬼の世界と人間の世界の境界に両方に存在できる地蔵が登場してきたと思われます。道祖神はいわば村に結界を掛けて人々を護るものですが、地蔵にもこの結界を作る働きがあるようです。
 その結界という作用を地蔵が持った時、この地蔵は鎮魂の場所にも建てられるようになりました。何か悲しいことが起きた場所に置かれたお地蔵さん。それは亡くなった人に安らかに成仏して下さいと願う祈りが込められているとともに、裏を返せば、こちらの世界に戻って来ては駄目だよ、という結界の意味があります。
 このようにして、お地蔵さんというのは民間信仰の中に溶け込んで行きました。地蔵の形には、一般に童子の姿の地蔵と僧形の地蔵がありますが歴史的には僧形のものが古い形で、だいたい12世紀ころから童子の形の地蔵が出てきたとされます。そして呼称も「地蔵菩薩」から「お地蔵さま」に変化していったのではないでしょうか。その変化の時期というのが地蔵という存在が、上記のような諸々の民間信仰と混交して、仏教の中に閉じ込められた菩薩としての存在から、宗教を離れた文化の中で人々の心の中で頼られる超越者としての存在に変化していった時期なのではないかと、私は考えています。

 (後略)

                *

《仏教における「蔵」という語》
http://www.tomo-net.or.jp/sermon/word/31_01.html

 (前略)

 そもそも「蔵」とは、サンスクリット語の「ピタカ」の漢語訳で、仏教に関するさまざまな文献の「集大成」を意味する。

 (後略)

                *

 「蔵」。。。。。。

 そういえば、仏教界で使われている「蔵」を使った用語には、他に「如来蔵」という言葉もありました。。。

                *

《如来蔵思想のこと》
http://www.kosaiji.org/Buddhism/nyoraizo.htm

(如来蔵思想の成立)

 如来蔵思想は2~3世紀頃にインドで成立した大乗仏教の思想の一つであり。『阿弥陀経』『般若経(初期)』『法華経』などの初期大乗仏教に対して、こちらは中期大乗仏教と分類される。
 初期大乗を『般若経』の空をもとに体系化したのは中観仏教の龍樹(150-250年頃)である。その龍樹と同じころに如来蔵思想が成立した。

(如来蔵思想とは)

 如来蔵の原語(サンスクリット)は tathagata-garbha で 如来を胎児として宿すもの という意味である。すべての衆生は如来を胎児として蔵(やど)しているという主張である。
 如来蔵思想は『如来蔵経』に始まり『不増不減経』『勝鬘経』によって継承され、『宝性論』にいたって組織体系化されたとされる。また、大乗の『涅槃経』では如来蔵を仏性ということばで表現し、その「一切衆生悉有仏性」の経文は有名。
 これらの思想は、後の密教の成立に大いに寄与し、また中国や日本の仏教に深い影響を与えた。

(『法華経』と如来蔵思想)

 初期大乗仏教の『法華経』でも「若有聞法者 無一不成佛」(方便品第二)とあり、「其中衆生 悉是吾子」(譬喩品第三)とある。『法華経』にはすでに、法華経を聞けば成仏しないということはなく、すべての衆生は仏の子供で、すなわち仏の遺伝子を持っていると説くのである。そこに、如来蔵の萌芽をみなくもないが『法華経』を如来蔵経典ではない。
 『法華経』の場合は『法華経』を聞かなければ「無一不成佛」ではなく、衆生が悉く仏の子だと表明しても、それが既に仏であるとか仏をやどしているとは表明していない。たとい聞法や小善といったことでも菩薩行を要求する。また『妙法蓮華経方便品第二』の五千帰去は、『法華経』の聞法すらしない者を「退亦佳矣」と退けている。
 ただ、『法華経』の一切衆生に対して平等に成仏の可能性を説く立場や、仏子という考え方は、如来蔵思想に影響は与えたかも知れない。

(上座部仏教からの影響)

 如来蔵思想はまた部派仏教の大衆部にある客塵煩悩(agantuka klesa)の考え方が影響していると想像できる。煩悩は心に本来からそなわったものでなく、もともと心は浄く、煩悩が塵のように付着したにすぎないものだという説である。

(在纏位の法身)

 如来蔵は如来を如来たらしめている本性として法身(永遠なる宇宙の理法そのものとしてとらえられた仏の姿)にほかならず、ただそれが煩悩を纏(まと)っているため、まだ如来のはたらきを発揮出来ない状態にあるという考え方。すなわち、人間の本性は完全な仏であり、煩悩に覆われているから仏と成らないだけであり、煩悩という塵の層を除けばそこに完全な仏があるという考え方。
 これが仏教として容認できるものなのかどうか。この思想により最低限の簡単な修行や規範もおざなりにされないか。検証が必要である。

(如来蔵思想は仏教か)

 この件については、中古天台本覚思想を含めて

  松本史朗 「縁起と空―如来蔵思想批判」 如来蔵思想は仏教にあらず
  袴谷憲昭 「本覚思想批判」

 などに詳しい。

 日本では如来蔵思想が「本覚思想」として仏教の本質をあらわすものと誤解されてきた。それはつい最近までにも色濃くあり、いまだにそのことに固執する教団や僧侶が少なくない。
 無理もないことである。日本の仏教宗派の多くは鎌倉仏教であり、それらの開祖は比叡山で勉学した。そのころの比叡山は、中古天台本覚思想が蔓延している時期である。たとえ祖師が本覚思想に染まらなくても、その後の弟子たちが本覚思想にとっぷりつかり、祖師に仮託した偽書をあらわすということも行われた。そして、それにまつわる口伝が一子相承によって相伝されて来て、未だにその呪縛を信念としているむきもある。
 あまりにも、東アジアに影響を与えた思想であり、この問題は現代までの日本仏教や今後の仏教のあるべき姿を考える上で大変重要なことである。

 (後略)

                *

 結局、「如来蔵」の「蔵」は、「宿している」という意味で使われているようです。。。

                *

 話を山中さんの歌に戻します。。。

 山中さんが詠わんとされた「蔵王」。これはもしかすると「わがうちなる荒ぶる神」としての『蔵王権現』のことなのかもしれません。。。

                *

 ところで、「蔵王」「地蔵」とパソコンで打ちながら、さっきから個人的に気になって仕方がないことがあります。。。

 私の妄想の中では、「蔵王」という語は、実は「地蔵の王」のことではないのだろうか???。。。という気がしてなりません。。。さらには、結界を守る(?)「お地蔵様」を束ねる王様のイメージは、実は、もともとは「閻魔大王」に重なるものだったのかもしれない。。。????? などと、この妄想中毒状態はさらに悪化。。。

 これまで不確かな知識を口からでまかせに並べているだけでちゃんと調べていないのでよくわかりませんが、学問的にはもしかしたら、「蔵王」の意味は、文字そのままに「王権を蔵(やど)している存在のこと」と考えるべき(?)なのかも知れません。

 しかし、私は、上で引いた役行者の逸話の中にも「蔵王権現」と「地蔵菩薩」が登場してきていますし、「蔵王=地蔵の王」(?)というイメージが頭の隅に引っかかってしまって仕方ありません。。。

 このことは、いつか時間のあるときにさらに調べてみたいです。。。(つづく)
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花粉症・泡盛・短歌メモ

2006-04-17 13:53:50 | Weblog
 メモです。


http://www.sakasho.com/hp-seifuku.fancy.html

 請福(せいふく)ファンシー 本場泡盛 35度(限定品)

 <花粉症に効く?請福ファンシー>

 「請福ファンシー35度」は泡盛本来の「コク」「力強さ」熟成酒の「まろやかさ」を合わせ持った本場泡盛なのですが、その美味しさのに加えなんとあの花粉症にも効く?という治験データ-が確認されております。

 請福酒造のファンシーは、下記のように、花粉症に関する治験データ-が特許申請されています。

【発明の名称 】泡盛の抗アレルギー有効成分としての利用。

【課題】 その性質が十分に周知されていて、日常的に摂取されている食品の中から抗アレルギー有効成分を見いだすこと、これを抗アレルギー有効成分とする食品、医薬品、医薬部外品及び、化粧品を提供すること。

【解決手段】 泡盛が抗アレルギー有効成分として利用できることを見いだした。また、泡盛は抗アレルギー有効成分として、食品、医薬品、医薬部外品及び、化粧品に利用できることも見いだした。

《生産地/沖縄県石垣市新川 請福酒造(せいふく)  原材料/タイ米.黒麹 アルコール度/35.0》

 スギ花粉の飛散が始まるほぼ1カ月前から、泡盛15ml/回を毎日朝夕服用させた。服用は、スギ花粉の飛散の注意報がなされなくなるまで行ったが、食事をはじめ生活には特に制限はしなかった。

 服用後、1カ月経過後から、被験者の毎日の自覚症状をもとに予防効果及び、治療効果の判定を行った。スギ花粉の飛散の注意報が報じられている期間のいずれの時点においても例年よりも症状が著しく軽減された。また、スギ花粉の飛散最盛期にあたる、服用開始後50~60日目の自覚症状は、当日服用により著しく軽減されたスギ花粉の飛散時期になると、クシャミ、鼻水、眼のカユミ等のスギ花粉症の症状を呈している被験者(成人男性)に、スギ花粉の飛散の注意報が報じられ、自覚症状が認められて、3日後から、泡盛15ml/回を毎日朝夕服用させた。

 服用は、スギ花粉の飛散の注意報がなされなくなるまで行ったが、食事をはじめ生活には特に制限はしなかった。服用日から、被験者の毎日の自覚症状をもとに治療効果の判定を行った。服用後1~2時間経過後から、明かな、症状の軽減効果が10時間程度継続するのが自覚された。この軽減効果は、スギ花粉の飛散最盛期においても認められた。

                ☆

 請福酒造のサイト
http://www.seifuku.co.jp/



               ***

 短歌メモ。

この星に間違ひなしと降り立つも「。。。隣りの銀河の方や!!!?。。。」とふ宇宙人(いー・てぃー)のかなしみ  河村壽仁
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