駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

完璧とは参らぬが

2019年03月10日 | 診療

            

 

 この二年ほどは遺伝子関係など最先端の医学の進歩について行けなくなっている。実際の臨床現場で必要な最小限のポイントだけを何とか押せるだけで精一杯だ。幸い最前線では難しい検査や新しい薬を使わなくても、今までの経験と知識で何とかやれている。何とかというのは、これは自分の手に負えない病気や病態であることを外さないでやれるという意味だ。

 勿論、完璧とはゆかず、重病の可能性があると思って送った症例が軽症でその日のうちや翌日心配有りませんと返されてくることは時々ある。緊張性頭痛だったり、急性胃炎だったとしても、研修医にこんな症例を救急で送ってきてと思われても、気にしない。逆に軽症だと思って様子を見た症例が実は重症だったということは年に一例あるかないかで殆どなくなった。それが肝腎なことなのだ。

 色々困ることはある。どうもこれは症状は軽いが普通の腹痛ではないと総合病院を紹介しようとすると、前期高齢の女性に多いのだが、病院は嫌だここで見て欲しいと懇願されることがある。それは虫の知らせだったのか、十日ほどすると**癌でしたという返事がきたりする。何というのだろうか、病気というのは容赦ない。そうかと思うと悪運が強いなどといっては失礼だが、針小棒大で些細なことで騒ぐ患者さんが結局何でもなく、十年十五年とお騒がせしながら元気で通院されていたりする。

 最前線の診療の難しさの一つに人間相手の仕事だということがある。色々な人が居られる。概ねこちらの説明と指導を理解してくださるのだが、それが守れるかどうかは大いに問題で、二年掛かり三年掛かりなどざらだ。十年二十年診ていると、認知症が出てきてこんな人じゃなかったのにと悲しくなることもある。

 完璧は難しい仕事なので、結果の如何に関わらずお礼を言って下さる患者さんや家族が多いのは本当に嬉しく有り難い。

コメント
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