駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

華の都パリの怖さ?

2019年03月13日 | 

   

 

 ブラタモリのパリ編後半を録画で見た。二千年の古都を大改造した知事が居たのを思い出させて貰った。とは言っても名前も忘れ下水道を整備した人物位にしか憶えて居らず、いやはやオスマンさんは凄い人、爪の垢が残っていないだろうか、あれば日本の知事さん達に飲んでいただきたい。糞尿で汚れた古都パリが如何にして華の都になったか、タモリ林田と一緒に合点した。

 その花の都パリの魅力は実は恐ろしい。幸い私は一寸引きつけられるだけなのだが、魔力に魅せられ日本に帰らず住み着いてしまった人は多い。多くは女性で、私が二人ばかり知っているくらいだから、全国では相当な数になるだろう。一人は患者さんのお嬢さんで、もう呆れたのを通り越し諦めました(これは母の視点)と、もう二十年になるので話題にも上がらなくなった。

 今回タモリを案内した女性もパリの魔力に引きつけられた人と見受けた。なぜ女性が多いかは多分言葉が達者になる確率が男性よりも高いからだろうと思う。林田さんも目を丸くして驚いたり喜んだりしていたが、パリの魔力に気付いただろうか。

 魅力と魔力は紙一重。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仕事を続けられるのは

2019年03月13日 | 小験

          

 

 自分は医療にしか従事したことはなく、他の職種のことはよく分からないが、長く医師であり続けるのは容易ではないと感じている。外科医に比べれば内科医は十年ほど長く第一線に従事できるが それでも六十半ばからは最新の知識を保つのが難しくなる。医療の進歩というのは分野によって差があり、遅々として予後の改善しない疾患から不治の病が治るまで進歩した病気まで様々だが、全体としては随分進歩しており医師免許を手にした四十七年前とは隔世の感がある。

 そうして今でも何とか現役で仕事が出来ている訳だが、振り返ると卒後五、六年に身に付いたものが大きいと感じる。三十年四十年経っても学びと進歩はあるのだが、何と言っても研修医の頃身に付いたものが土台と核となっている。今ならパワハラとされかねない叱声も、あの頃は当然で何度か頭ごなしに注意されたことがある。落ち込み辛い思いはしたが、自分が至らないわけで恨むようなことはなかった。叱っても外からはかばってくれたし、時には褒めても呉れ、苛めではないと感じたからだろう。勿論、苛めのような扱いや依怙贔屓を目にしたが、それは何時の時代にもあることだ。今の時代にそれが特別酷いということはないような気がする。

 今の自分が特別優れているとは思わないが、八名の雇用を生み出し十分な患者数で仕事が続けられているのは、若かった頃の指導や経験のお陰と感じる。スキーのジャンプも実は空中に出てからよりも滑って飛び出すところが肝腎なのだろうと想像する。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする