今朝は寒かったがそれは昨日に比べてのことで十二月始めの平均気温らしい。
何百枚もの死亡診断書を書いてきた。内科医の大きな仕事の一つだと思っている。亡くなる時も人さまざまと言えるだけの症例を見てきた。開業してからは高齢者が殆どで、この十年ほどは九十代も多い。枯れて火が消えるように亡くなり、家族の方も静かに見守られる。月曜の夜、H氏が亡くなった。忘年会の合間で家に居たので臨終に間に合った。享年七十八歳。
亡くなったことを告げるとご家族が号泣され、こちらまで言葉に詰まってしまった。質の悪い病気で本人もご家族も覚悟されていたようだったが、別れは辛く悲しみは大きかったようだ。
これが私が医者に成りたての四十年前だと、少し違ったような気がする。七十半ば過ぎ八十近ければ勿論悲しみは大きいのだが、どこかに十分生きたという感覚があったように思う。今は八十代後半でないとそうした感覚がないようだ。九十四歳で亡くなったブッシュ元大統領の葬儀は悲しみに包まれと言うよりは天寿を全うという感覚からか穏やかなもののようだった。
死は最も個人的なことで医者の私が患者さんの終わりに何か言うのは適切ではないが、寿命の感覚も時代によって変わってゆくと感じている。