駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

厳しい冷え込みの中で

2012年12月26日 | 小考

   

 昨日今日と冷え込みが一段と厳しい。温暖の地なので、寒いと言っても零度前後で、北国の方に笑われるかもしれない。

 昨日は連休明けで沢山患者さんが来た。それでも110名程度で、数年前に比べれば10-15%少ない。インフルエンザの流行がないせいだろうと思う。月平均の患者数は1-2%の減少で、減っている感じはしない。

 毎年この時期にはいつもお世話になっている訪問看護ステーションにケーキを届けることにしている。喜んでくれるので、サンタ気分で嬉しい。贈る方が自慢しては何だが、Rは本場修業のケーキ屋でとても美味しいのだ。Rのケーキは小振りで御値段は一人前という当世風でなく、昔と同じ大きさで値段は小振りのものと同じという優れものだ。

 残念ながら。我が医院の周辺は高級住宅地ではないので味と値段の割には客数は多くなさそうでせいぜい贔屓にしてやっている。毎年早々と5,6個注文するのだが、今年は間際になって予約に行ったので、いつもありがとうございますと言う親父の嬉しそうな破顔一笑に、待っていたなと思ったことだ。

 この数年感じるのだが、年末の賑わいがもう一つで何処となく寂しい。21世紀もまだ十年そこそこいうのに世紀末のようで、LEDのせいか街のイルミネーションも華やかな感じがない。よく言えば節度と落着きと受け取れるのだが、昭和の賑わいを覚えている者には諦めと悲観も感じる。

 自民党は昔の名前も多く、どれほど反省から生まれ変れているか疑問だが、狭量や仲違いという心の貧しさは民主ほどではない。安倍さんを大人の落着きで支えてゆくのではと、民主で懲りた国民は静かに期待しているだろう。

 

 

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健康願望という病

2012年12月25日 | 町医者診言

    

 ちょっと昔、「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」、という交通宇安全標語があった。

 今は、

 日替わりのあれやこれやの健康法、それで長生き何するの。

 薬味たくさん刺激は強いが、中身はちょっぴり政党公約。

 安倍さんに電報。勝ったと思うな思えば転ぶ、背負った荷物は目茶重い。

 横町の御隠居が嘯く。まさかこれほど、与党に据えたお灸が野党に効いた。

 情け容赦のないと言えばTime and Tide,あたふたの2012年も残り一週間。

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小新発見?かもしれない

2012年12月24日 | 小考

       

 年寄りの繰り言ではなく世の中が変質してきたと思う。軽佻浮薄と言われた時代には重厚長大に対し成る程と切り返す力があったのだが、二十一世紀に入って徐々に蔓延してきた若い世代の内向近短感覚は、希望と力強さに欠けているように思われる。(勿論、小確幸がわからない訳ではない。)

 その原因には社会の固定化閉塞性などいくつか挙げられると思うが、遠因にコマーシャリズムというかコマーシャル文化にあるのではと気付いた。これがどの程度当たっているか発見と言えるほどのものかは分からないが、掛け値があるのにあたかも本当のようなプレゼンテーションが世に溢れているために、どこまで本当かわからないことを今更きちんと検証確認することなく、そんなものと受け入れてしまう精神ができあがったのではないかと思う。そうして将来や外界のことに無関心で現実感と批評精神を持って物事に相対する心性が希薄になって来たのではないかと発見?した。

 呼応するように碌に考えも調べもせずに聞かれた難問に、分かっているようにすらすらと答える分かり人が出回っている。彼等の答えは一例手がかりで、宛がい扶持は身になるまい。

 発見とは大袈裟かも知れないが、コマーシャル文化が若年者の精神に与える影響について殆ど論じられていないように思う。勿論、知らないだけで教育界や精神科領域では既に指摘されていることかも知れない。

 批評分析評価は悪口等閑雑言とは違う。批評分析評価は自ら少しでも調べて考えないとできないことで、次への展開に繋がってゆく。

 

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髪色は奇抜でも

2012年12月23日 | 人物、女

   

 NHKの日曜討論を見た。相変わらずの錯覚司会者には辟易したが、論客の中では浜矩子氏が異彩を放っていた。

 マクロ経済の専門家で歯に衣を着せず、力強く持論を展開された。より強くより大きくと成長を志向する路線に異論を唱え、成熟した成人の社会を目指すべきだ。昔の名前で出てきた人の古びた言葉で語られる名目成長政策はずれていると明言された。私は成る程と思ったのだが、対抗する太田弘子氏は現実既得権改変路線で、空白の三年半を飛び越えて改変成長路線を繰り返された。

 他の論客も現実既得権を踏まえた改変成長路線で浜矩子氏は当て馬扱いに感じられた。日曜討論の論客の人選には問題があると思う。偏向司会をする司会者は交代させる必要がある。

 増田寛也氏などはかなり分かっておられるようだが、ラディカルなことは言えない体質と見た。外交防衛などの論客も同じ現実路線の石破さんを出ないように感じた。

 余計なことを言えば、太田弘子氏は容姿に恵まれた人で、なぜ男女とも容姿に恵まれた人物が内容以上に重用されるのかと遺憾に感じる。こうした発言が大変失礼なことは承知しているが、調べず考えず容姿で判断する傾向には抵抗したい。

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知っていたはず、何だっけ

2012年12月22日 | 身辺記

      

 不思議な夢を見た。切通しのある屋敷町に紛れ込んで、バス停を探していると、向こうから痩せた白髪のお爺さんが歩いてきた。爺さんの横に大きな猫のような黄色い斑の動物が歩いている。なんだか丸い座布団のようで、奇妙な猫だなあと思っていると

 突然ぱっと走り出し、道沿いの屋敷の塀に駆け上った。猫のような身のこなしなのだが太った猫をひしゃげたような形で、前後に頭と尾が付いている。なんだこれはと、見慣れぬ生き物に気味が悪いので立ち止まって凝視していると、近づいてきた爺さんはそれに気付いて、にこにこしながら「ああ、あれは、**ですよ」。と図鑑か何かで見たことのある動物の名前を言った。「ああ**ですか、初めて見ました」。と返事をしていると、それはさっと駆け寄って爺さんを駆け上り肩の所に張り付いた。頭はちょっと小振りだが猫に似て丸い目で私を訝しげに見詰めた。獰猛な感じはせず怖くはなかったが、どうも手を出して触る程の親しみは湧かない。

 おずおずと「珍しいものを見ました」。と軽く会釈をして別れた。五六歩過ぎてから振り返ると道には誰も居らず、切り通しの向こうに青い空が見えるばかりだった。

 で目が覚めたのだが、何だ**ですかという**が思い出せないのだ。確かに夢の中ではああそれなら何かで見たことがある、聞いたことのある名前だったのだが思い出せない。一体あれは何だったんだろう。

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