年寄りの繰り言ではなく世の中が変質してきたと思う。軽佻浮薄と言われた時代には重厚長大に対し成る程と切り返す力があったのだが、二十一世紀に入って徐々に蔓延してきた若い世代の内向近短感覚は、希望と力強さに欠けているように思われる。(勿論、小確幸がわからない訳ではない。)
その原因には社会の固定化閉塞性などいくつか挙げられると思うが、遠因にコマーシャリズムというかコマーシャル文化にあるのではと気付いた。これがどの程度当たっているか発見と言えるほどのものかは分からないが、掛け値があるのにあたかも本当のようなプレゼンテーションが世に溢れているために、どこまで本当かわからないことを今更きちんと検証確認することなく、そんなものと受け入れてしまう精神ができあがったのではないかと思う。そうして将来や外界のことに無関心で現実感と批評精神を持って物事に相対する心性が希薄になって来たのではないかと発見?した。
呼応するように碌に考えも調べもせずに聞かれた難問に、分かっているようにすらすらと答える分かり人が出回っている。彼等の答えは一例手がかりで、宛がい扶持は身になるまい。
発見とは大袈裟かも知れないが、コマーシャル文化が若年者の精神に与える影響について殆ど論じられていないように思う。勿論、知らないだけで教育界や精神科領域では既に指摘されていることかも知れない。
批評分析評価は悪口等閑雑言とは違う。批評分析評価は自ら少しでも調べて考えないとできないことで、次への展開に繋がってゆく。