駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

切実な判断論評を

2010年12月16日 | 世の中

 歌舞伎役者の御曹司の殴打事件が過大に報道されている。重要度から行けば百位以下とも思われる事象が重大事件のように報道されるのは関心度が高いからだ。
 自分の身に及ばない他人の不祥事に興味本位で関心を持つのは人の性なのだろう。しかもこうした事件には誰もが一端の意見を言えるので、週刊誌のネタとしては逃せないようだ。
 この騒ぎはまさにそれだけのことだとしてよいのだろうが、同じような感覚で重大な政治問題も扱われているのではないか。政治関連の世論調査など、何処まで切実に自分に関わる問題として問われているのか答えられているのか、十分な検証が必要だ。
 昨夜、臓器売買のドキュメンタリーをNHKで見たのだが、解説者はこれを由々しき問題の提示のように紹介した。踏みこみが浅いと思う。背広を着てデスクに座る人の言葉に聞こえた。
 極貧の人に言葉巧みに腎臓買い取りを持ちかけ、僅か数十万円の代価で摘出し十分な術後管理もせず放り出す実態が報道された。八方ふさがりの極貧につけ込む業者はまさに悪辣としか言いようがない。しかしその一方の端には提供代価の何倍も何十倍もの価格でその臓器を買い取って移植を受ける人達が居るのだ。それはけしからんようだが、簡単にけしからんと言えるだろうか。自分や自分の肉親だったらと詰め寄られると思う。
 日本では脳死の臓器移植が非常に少ない。法の形を問題にする向きもあるが、実際は現実では自分の臓器を提供するのに二の足を踏む人が多いからではないか。無償の提供を待っていると日本では数%、欧米では十数%の患者にしか、移植の機会は回ってこない。そうした事実現実を踏まえないで、もし自分だったらと切実に考えることなく遺憾な事だと言っても、言葉が宙に舞うだけだ。人間というものがどういうものだというぎりぎりの肉薄がない解説には力がない。
 賢人?!会議をなどと動き回る政治家が居るようだが、漏れ出た情報によると日本はお粗末なリーダーに依る肥った敗者だと頼りにするアメリカで評価されているようだ。
 報道に関わるに人は職を賭して、日本政界の病根を明らかにしていただきたい。そして差し迫る問いかけを発して欲しい。

コメント (4)
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