今の若い医師には信じ難いことだろうが、昭和四十年ぐらいまでは医学部の教授には恐ろしい人が少なからず居た。絶対の権力を持っていたから、怖い存在であり得た面もあったのだろうが、それよりも弟子を鍛えることに妥協なく心血を注ぐ教育者であったという方が真実に近いだろう。(物事には光と影功罪が付きまとうから、理不尽恣意的な差別や依怙贔屓もあったとは思う)。
何よりもその頃の教授が人を叱り飛ばす信念と情熱を持っていたことに驚きと尊敬の念を抱く。というのは今はおそらくどこの医学部を探しても、三十過ぎの中堅医師が教授室に入る時は足が震えるほど恐い教授は稀有だと思うからだ。「何をやっているんだ」。「そんなことでいいと思うか」。と怒鳴られて、すごすごと教授室から出てきた弟子の多くは懐かしく感謝している。二十年ほど前に亡くなられたH教授、小柄で優しい先生のように学会ではお見かけしたが、直接の弟子だった先生方に伺えば、厳しく恐い先生だったとのこと。怒られて当然と思わせるものと隠れた優しさも持たれていたのではないかと推測する。そういう先生だったからこそ分厚い追悼集ができ、全国をリードする教室が出来上がったのだろう。
自分も内科部長として五年ばかり、若い医師を指導する立場にあったが、人を指導するのは難しく、まして叱りつけるということはエネルギーの要ることで、なかなかできることではない。勿論、今では叱られる方の態度理解反応も変わってしまい、怒鳴りつければ変人扱いされ敬遠されると聞く。指導者にも弟子にも時代の陰影が差しているようだ。