駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

個人感はさまざま

2008年10月16日 | 学思
 健常人は誰しも見る聞く嗅ぐ味わう触るという五感を持っている。中に生来か訓練の賜か、特別に研ぎ澄まされた感覚を持つ人達が居る。例えば旋盤工や外科医の中には僅かな滑らかさの違いを指先で感じ取れる熟練者がいるし、指揮者の中にはオーケストラの演奏中にどの楽器の誰がミスしたかを聞き分ける人もいる。臭覚味覚視覚にもそれぞれ特に優れる人達がいる。
 こうした知覚と同列に扱ってよいか多少疑問だが、感覚として捉えられるものに女の感、第六感そして個人感(駅前医者造語)がある。女の感は恐らく雌が子孫生存のために雄を囲い込もうと備えている感覚(異論もあると思う)ではないかと思う。第六感は恐らく知識や経験の積み重ねで習得される思考の閃きのようなものだと思う。女の感や第六感は有益なことが多い?が、逆に現代では視野を狭くしかねないので注意が必要なものが個人感とでも呼びたい感覚である。
 個人感と仮に名付けた感覚は個人の体験からその事象が置かれた位置感覚のことで、その人の見方考え方というべきものだが、瞬時に意識されずに判定されるので感覚と呼びたい。たとえば眼がぱちりと大きい女性を事務員に雇用したら役に立たなかった経験を繰り返すとあの目は事務に向かないと感ずるようになる。健康診断で高血圧を指摘されても自覚症状がないので放置していたら脳出血で倒れ、幸い大きな後遺症もなく回復すると、血圧が病気の根源のように感ずるようになる。こうした個人的な体験から学ぶことはその人が生きて行くのにきっと役に立つことなのだと思う。しかしそれをあまりに普遍化されると、いろいろ問題が出てくる。
 偏りなく体験するには人生は短く、人は遺伝的に個性的でしかも異なった環境の中で生きている訳で、あなたがそうだからみんなもそうとは限らない。自分の体験から得た感覚を誰にでも当てはめて説こうとする人は女性や芸能人に多い。こうした人達は影響力があるので困る。血圧に細心の注意を払っていても大腸癌で死んではつまらない。 
 狭い範囲では正しいことも広い範囲ではしばしば間違っている(不十分である)ことがあるのを分かって欲しいと、患者がみんな帰った後で思うことがある。
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