駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

学者も生きている人間の一人

2012年04月16日 | 学思

     

 駆け足で日本内科学総会に参加してきた。京都は中尾一和会頭の念力によって、例年なら散っている桜がちょうど満開で岡崎周辺は好天にも恵まれ、絶好の学会日和?だった。

 総会には医学学術を離れて一般総論的な講演が付きもので、今回は京都在住の宗教学者山折哲雄さんのお話があった。残念ながら目新しいものではなく以前にも聞いたことのある部分が多くちょっと鼻白んだ。西行が絶食で命を絶ったと言う自説を紹介され、願わくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃 を上手く実践したというような話から、老いたらある時点で絶食して死ぬのも良いと思うとのことであった。きちんと理解できたかどうか心許無いが、なかなか現場(認知と廃用が進行)ではそうもいかない、どうも学者は夢のようなことを言うと奥義を極めた宗教学者に失礼な感想を持った。

 ちょっと話は飛ぶが、大飯原発再開をさせようと政府が躍起になっているが、誰が見ても結論ありきの付け焼刃安全指針で長期展望がすっ飛んでいる。学問としての宗教に長じることは学者として評価され、尊敬に値いするけれども、どう明日を生きるかには今日まで生きてやがて死ぬ誰しもが等しく自らの命なりにものが言えるのではないか、と疏水の脇を歩きながら考えたことだ。

 

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