駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

できないと気付いても

2010年11月29日 | 小験

 面白いと評判の本、あるいは賞を貰った本、さて手に取って読み始めると読めないことが結構ある。面白くないのだ。若い時ならなんとか読めた。試験勉強でなくても、評判の本や著明な本は頑張って読み終えることができた気がする。時間と体力があり、好奇心功名心が強かったせいだろう。何でもやってみようという気持ちに無知と無恥が拍車を駆けていた。 
 今も好奇心はそこそこ残っているから、評価の高い本をネットで取り寄せたり店頭で買ったりする。三分一読了できているかどうか怪しい。三行で放り出す臭い本、三頁で諦める難解本、三分の一で残りが分かり途中下車する水増し本。それは私の個人的な評価で勿論偏向しているのだが、まあ年を取ると自分の基準があるというか硬直したというか、人は人自分は自分となる。
 孔子は四十を不惑と言ったが、個人差はあっても四十ぐらいが新機軸を受けいれる端境期のように思う。還暦を過ぎて始めた何とかは昔取った杵柄が殆どだろう。さもなくば冷や水に終わることが多いと思う。別に新規のことを始めなくてもちょっと囓ったことだけでも数多く奥深く、残っている時間を考えれば手に余る。ひょっとして孔子さんの言ったのはそういう意味かもしれん。 

コメント (6)
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