第二次世界大戦(大東亜戦争)前夜の昭和十年前後の雰囲気は、生まれる前のことで知る由もないが、今の社会の雰囲気とどかこ似ているのではないかと危惧している。
勿論、北朝鮮関連の焦臭さから連想してそう言われる方は居るのだけれども、私はそれよりも国内に色濃く漂う閉塞感に、それは国の借金地獄から抜け出せない体質や最低の就職事情などから来ているのだが、視野狭窄の暴走が誘発される危険を感じる。
大衆は愚にして賢と言うが、どうも賢にして愚に変わってきている恐れがある。国家は実は国民自らが形成しているのに、恰も別仕立てのように無い物ねだりの機運をどことなく感知する。何とかしろではなくて、何とかしなくてはと自ら動こうとする機運が乏しい。悪貨と言えば言い過ぎだが、善良でも少しく視野の狭い人達はネズミ講のような、成立しない甘い話に暴走することがある。暴走を始めると黙々と地道に頑張っている謂わば良貨の人達を跳ね飛ばしてしまうので恐ろしい。
先の世界大戦の敗戦から学ぶべき事は第一に戦争をしてはならないということだが、それには如何にしてを省いてはならない。賢いと言っても成績の良い優秀な官僚と官僚機構には限界があることを、負けるべくして負けた先の戦争から学ばなくてはと思う。泣く子と地頭に勝てる政治家が今こそ必要なのだ。仮想敵国や一時凌ぎのあめ玉で問題から目を逸らせさせようなどという政治家には要注意だ。恐ろしいのは戦争だけでない、別のカタストロフィも起こり得ることにも気付かなければならない。
どうしてこんな大問題を書いたかと言うと昨日の深夜、NHKで如何に日本が借金大国になったかを大蔵官僚OBの述懐を交えて放送していたのを偶然見たからだ。それに日頃、子供が親を別居させて生活保護にして、その上で末期診療や癌診療を受けさせているのをつぶさに診ているからだ。医療側が十分な事をしているのに、子供さんの中には不満げな方もおり、口には出さない(出しにくい)のだが医療は有料しかも重症だと高額なのだがと思う事がある。
あなた任せで保証され、額に汗せず旨い物が食えるノーホエアカントリーに住めるのはノーホエアマンだけだ。