駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

何処にいるか支離滅裂話

2008年10月30日 | 自然
 方向感覚に恵まれているせいではないと思うが、いつも自分の置かれている場所が気に掛かる。日本の何県の何市何町ということだけでなく、世の中での立場、業界での立場、それに年齢的位置などなど。それこそ杞憂と笑われるが、何で地球に居るなどとも考える。
 人間原理などで説明されても、もう一つ得心がゆかない。
 温度位置と妙なことを言うがどうして体温は36度3、4分なのだろうか。中には私はいつも35度しかなく36度5分は私には発熱ですと主張される爬虫類系のおばさんもおられる。37度台はお役所熱でお役所勤めの方が休まれる体温で、38度台は零細企業熱で零細企業の方が漸く欠勤を考える体温なのだが。 
 体温の変動の小ささと同様、地球規模の気温もマイナス60度くらいからプラス40度くらいのたかだか100度の範囲に納まっているのが凄い。おそらくこの気温と体温は何か関係があると思うのだが、どうもそうした研究はイグノーベル賞で、本腰を入れる人は少ないのかな。
 絶対零度がたかだかマイナス273度位なのも、どうも20度前後の世界に暮らす私には底が近い、300度しか余裕がない、気がして居心地が悪い。上はほとんど限りがなく何百万度とあるのに。
 1001度と1000度の差と101度と100度の差と11度と10度の差はは同じ1度なのだろうか、物理的には同じ?なのだろうが、化学的生物的には違う?。
 光や音も目耳で妥当な波長を捉えているようだが、もっと長い波長が見えたり聞こえれば、全然違う世界が開けよう。
 何処にいるかの認識は持っているセンサーによって変わりそうだが、それに気付くことができるのも困りものだ。なんだか実を求めてラッキョウを剥く猿の心境になる。
 まったく、何処よりここに来たりしものかと妙なことが、まなかいにもとなかかりてやすいしなさぬ(実はよく寝ている)とは、困った性分だ。杞憂とは違うと思うが、同好の士にはあまりお目に掛からない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする