「どういうルールが行なわれているかわからないゲームに、気がついたらもうプレイヤーとして参加していたという状況」これは内田樹がよく使う喩です。なかなかよくできた喩だと思います。
「言語活動こそまさに世界に遅れて到来するものの典型だと思う。僕が今、何を言おうとも他人が作った日本語なら日本語という言語体系の枠組の中でしか語ることができない。他者がすでに作ったシステムを経由してしか自己言及できない以上、原理的には『私は』と発語した時点で『私』はすでに他者に遅れていることになります」
「ユダヤ人はアイデンティティの起点を『私はここにいる』という自明の事実に置くのではなく『自分はここにいていいのか?誰かが場所を譲ってくれたせいで、あるいは誰かを追い出したことで私はこの場所にいるのではないか?』という遅れの感覚から始める」
「ルールというものはプレイしながら部分的に発見されるものだーでもその全貌は最後までわからないだろうー」というふうにユダヤ人は考える。たぶんそう考えるとプレイの仕方がぜんぜん違ってくるのです。