ツツジの季節だ。梅雨入りも近い。東京で出された4月25日から5月11日までの3回目の非常事態宣言は12日から5月31日までと20日間延長された。宣言が出るたびに公民館の囲碁会は中断する。宣言のない期間は参加者は大幅に減少して活気を失う。これから先、予定通り宣言解除になるかどうかは楽観できない。
まだまだ見知らぬ相手とのネット碁には踏み出せない。やはり目のまえに相手がいて、その身体を感じながら打つ方が落ち着く。近年人工知能(AI)の発達で囲碁ソフト、将棋ソフトの棋力が急上昇し、プロ棋士たちがそのAIを師匠とみなすかのような状況が生れている。
囲碁の王銘琬九段の「主観で打つ楽しさ」と題する新聞コラムを読んだ。主観と客観を絡ませた内容だった。コラムに触発されて考えた。ざっくり主観を意識、客観を物とする。囲碁AIに主観はあるのだろうか。そして「主と客」という意識の起きる以前の意識の探求がテーマという「禅」に思いが至った。囲碁AIは禅である。
池上彰さんが将棋の藤井聡太君をゲストに迎えて聞いていた。道を究めつつある若者は、どのようにしてこれほどの知性を獲得し、それを言語化することができるようになるのかと思った。「私の質問に一つ一つ長考しました。集中力と忍耐強さには驚嘆しました。まるで修行僧のようでした」「将棋を国際的に普及するため、英語で紹介するコンテンツなどを増やしていくことが大事なことだと考えています」