富士山に登る代わりに、富士山に模して造られた富士塚に登るようなものだ。私は高尾山に出かける代わりに、年に何回か狭山丘陵の一部の八国山緑地の雑木林を散策することにしている。自宅を出て自転車で東村山市街に入り麓まで30分かかる。
尾根道の南側は雑木林で覆われて人家はないが、北側は所沢市で住宅が尾根道のすぐそこまで迫っている。丘の東端にある将軍塚まで尾根道を30分かけて往復するのが私のいつもの行程だ。将軍塚の案内板には新田義貞が、上野国(群馬県)から鎌倉に侵攻する途中に陣を構えた場所とあった。
将軍塚からはるか南にある中央線の西国分寺駅の近くに「姿見の池」がある。義貞に思いを寄せる恋ヶ窪の遊女が義貞の死の誤報により身投げをしたという伝説のある池である。そしてその西国分寺駅の近くには古代の幹線道路「東山道武蔵路」の遺構があり、さらにその近くには古代の国分寺を復元した国分寺跡公園がある。
ある時に、私の意識の中でバラバラに点在していた将軍塚、府中街道の九道の辻、姿見の池、東山道遺構、国分寺跡などが繋がって南北に走る一本の線になっていった。かつての東山道、さらに鎌倉街道、そして現在の府中街道は呼び名は変わってもほぼ同じ道と言ってもよさそうだ。また、この界隈に残る新田義貞の伝説の多さにも興味が湧いた。
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