通りかかった中央公民館のギャラリーで写真展「小平遺産ー用水路」が開かれていた。会場で手に入れたパンフレットを持ち帰って開いてみた。「こだいら 水と緑の会」の発行である。この会では市内の小学校4年生に出前授業をしており、その時に配布されるパンフレット「小平の用水路」だった。その内容に興味を持った。
360年ほど前の玉川上水完成から2年後、狭山丘陵の麓の村の小川九郎兵衛が上水から水を引くことを願い出て小川用水ができた。江戸城の漆喰に必要な石灰を運ぶために整備されたのが青梅街道である。小川用水はその街道沿いに南と北と二つ流れていた。移住してきた人々により小川村が誕生する。小平市の始まりだ。
現在でも小平市には江戸時代の用水が残る。それらは出来た順に田無用水、野中用水、鈴木用水、大沼田用水である。水と緑の会では小平市の用水路を「せせらぎ」として復活・保全を目指すという。幸いにも小平市の行政は用水路の保全に前向きだ 小平市内を縦横に走る用水路は全長で55kmあり、特筆すべきは多摩川の自然水ということだ。
明治3年にできた新堀用水が最も新しい。今では想像するのも難しいが明治3年から2年間だけ玉川上水では物資を運ぶ通船事業が行われたという。そこで各用水の取水口は通船に邪魔ということで新堀用水に一本化された。家の近くにある新堀用水が、他の用水と異なり玉川上水のすぐ横を並行して流れている理由を今回はじめて理解できた。