玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*沖縄滞在八日間⑦

2016年03月07日 | 沖縄のこと

  座り込み現場が緊張の連続であるはずはない。時には音楽を流してダンスステップの指導もある、地元のユーモラスな蟹股踊りや、替え歌「ヒマジン」の独唱や、ゲート前名物男のなごやか踊りなどもある。一方向にしか向かない言葉は心を狭くする。血相変える県外からの闘士を見かけたが、私は機動隊や米軍兵士には穏やかに接したい。「戦争は二度と繰り返したくない」という80代、90代の沖縄戦経験者の人たちが、座り込みをしている。辺野古に新基地ができると、地元の人が認めたということになり沖縄の基地の位置づけも変わるという危機感がある。

 私は残り3日間の午後は休養にあてた。午前の座り込みが終わると、ゲート前を離れて基地沿いに60分歩いて地域交流拠点施設「わんさか大浦パーク」にある食堂で野菜たっぷりの昼食をとる。隣りの売店で調理済みパパイヤを連日購入する。一人のどかな大浦湾を眺めながら屋外のテーブルでそれを頂く。そこから湾沿いに30分歩くと宿である。温水シャワーを浴びて東南の角にある6畳で大の字になる。暖かい陽射しの中でしばしまどろむ。もったいない気がして3日目は世帯数が110ほどの瀬嵩の集落を散策した。

  

 三人のアメリカ兵による少女暴行事件があり、宜野湾市の海浜公園で8万5千人が参加した県民総決起大会が開催された。その翌年の1996年に橋本首相とモンデールアメリカ大使が官邸で記者会見して普天間基地の返還を発表した。そして返還合意後の新基地の移設先が検討されて辺野古が浮上する。そして今日まで沖縄の人たちはこの問題で分断され翻弄され続けてきた。沖縄から見ると本土では日米安保条約が憲法より上位にあるとしか見えない。しかし沖縄は変わった。13年の辺野古のある名護市長選で新基地反対の稲嶺進が再選、翌年の11月の知事選挙で翁長雄志が十万票差で初当選、直後の12月の衆議院選挙で沖縄の四選挙区ですべて新基地阻止を訴える候補が当選した。怒涛のような選挙だったと翁長知事は振り返る。

 

 昨年の7月に東京で「いま沖縄と本土を考える」のシンポジウムで開かれた。そこで翁長知事は基調講演を行い二つのことを訴えた。一つは「日本の安全保障は日本国民全体で考えてもらいた」ということ、もう一つは「今や米軍基地は沖縄経済発展の最大の阻害要因である」である。当選直後に官房長官や総理との会談にチャレンジしたがなかなか会ってもらえない。やっと実現した総理との会談で「基地負担軽減に努力していますと言いますが、みんな県内移設だから0.7%しか少なくならないのです」そういう話をしても総理からは返事がなかったという。説得する言葉を持たない政権は、何をなすべきか私たちも考えたい。(完)

 

               

 

 

 

 

 

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