玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*沖縄滞在八日間⑥

2016年03月03日 | 沖縄のこと

 日曜日の午前6時のゲート前はさすがに人影もまばらである。雨がぱらつき始めると、いつもの事なのだろう、道路をはさんだゲートの反対側の広場に、手際よく塩ビ管とブロックと防災用シートで即席のテントが作られた。早い時間なのでテントの中に腰かけた二十数名のうちの大部分は県外からの人たちである。辺野古に来た思いなどを表明しあう。私は小学2年生の時に一年間だけ那覇で過ごした1950年代のことを話した。私が毎朝便乗させてもらう Iさん(66歳)は昨年の国会前デモで目覚めて「ひとりスタンディング」を始めたと話した。早々に雨はあがった。(ひとりスタンディングのIさん)

 ゲート前のリーダーである山城さんは、自治労沖縄県職労の副委員長などを経て04年から沖縄平和運動センター事務局長である。08年に県庁を退職し10年と13年の参院選に社民党から立候補するが落選している。その魅力的な人柄でゲート前をけれんみなくまとめあげる。辺野古に現場で歌える歌がほしいと自ら作詞したのが「沖縄今こそ立ち上がろう」だ。1968年フランス五月革命の中で歌われた「美しき五月のパリ」の替え歌である。リフレインの「今こそ立ち上がろう・今こそ奮い立とう」は今でも私の耳に残っている。そしてこの歌は「沖縄の道は沖縄が拓く」で始まる。

 悪性リンパ腫の医療を受けていた山城さんは、昨年の10月に約半年ぶりに座り込みの現場に復帰したという。どれだけの人が彼の回復を祈っただろうか。この週末の土曜と日曜は休養して旧正月の8日の月曜日には元気な姿をみせた。私の滞在中のその後も精力的に先頭に立ち続けていた。ゲート前には島袋文子さんの姿もある。85歳だろうか。私は「文子おばあ ですよね」と尋ねて握手をさせてもらった。若い二人の女性が前後して「海と風の宿」にそれぞれ2泊した。関西シールズの堺市からきた20歳と、立川市から来た無職の19歳である。20歳の方は昨年も来たという。ゲート前では、中学生や高校生の男女がグループで姿をみせたこともあった。若い人たちは大歓迎を受けていた。(ゲート前の島袋文子さん)

 

 9日の火曜日には機動隊の意表をついて第2ゲート前に移動して抗議活動を行った。山城さんが絶大な信頼を寄せるのが知恵袋的存在で沖縄平和市民連絡会の北上田毅さんだ。指名されて北上田氏は、この第2ゲートの近くに国道をまたいで土砂運搬のベルトコンベアーが作られると説明した。彼のブログ「チョイさんの沖縄日記」は読みごたえのあるレポートになっている。コンクリートブロックの投下を阻止するため抗議船に乗り、防衛局の作業を監視するなど幅ひろく活動する。この第2ゲートは弾薬を運搬する米軍車両が出入りする。アメリカのメーン州のジェイソン・ローン(42)さんは長期滞在して連日のように辺野古に姿をみせていた。この日の彼はギターを抱えて「Don`t Take Your Guns To Town」  を基地に向けて歌った。(指名された北上田さん と ジェイソンさん)

  

 

 

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