玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*電子辞書で遊ぶ

2007年10月05日 | 捨て猫の独り言

 退屈な会議では電子辞書を持ち込むと絶好の暇つぶしができると言った同僚がいた。それを実行することなく定年退職した。会議と無縁になっている自分の生活を今更ながら思い知る。当然のことだが言葉はそれを使う私達の生活の変化と共にめまぐるしく変化する。死語になりつつあるもの、二重の意味を持つに至るもの、誤った用法が流布するもの、時を経て輝きを失わないものなどいろいろな言葉が存在する。今回の他愛ない電子辞書の一人遊びの中から目に留まったものをいくつか挙げてみる。

 嫁が産んで一緒に暮らしている内孫よりも嫁に行った娘の産んだ外孫の方がかわいいという意味の 「内孫より外孫」 は家族形態の変化で私などには内と外の区別がつかない。また 「一姫二太郎」 は子供を持つなら最初は女の子で二番目が男の子の方が育てやすいということらしい。これも誤解している人が多いのではないか。「あって地獄、なくて極楽」 は何のことだろうかと思う。金があれば盗難の心配、子供がいれば子育てに苦労はつきもの、金も子供もあれば地獄の苦しみ、なければ極楽のように気楽だということだ。これなどはまさしく現代の世相そのものではなかろうか。

 「君子は豹変す」 は立派な人物は過ちを速やかに改め善に移すことがはっきりしているということだ。今までの思想や態度が急に変わるという意味ばかりではない。「絶体絶命」 は絶体は体が逃れられないこと。絶対と書くのは誤り。絶命は命が逃れられないこと。

 「生者必滅、会者定離」=The first breath is the biginning of death.などは毎日のように心に浮かべたい言葉である。ずばり自分のことを指摘されたと骨身に沁みたのが 「酔生夢死」 である。まるで酒に酔っているかのように生き、あたかも夢をみているかのように死ぬの意から、生きがいのあることをせず、うかうかと一生を過ごすこととある。つぎのような四文字熟語がある。よく眠っていて何も気付かないこと。絶えず忙しく旅行していることを、それぞれ 「白河夜船」 「南船北馬」と言う。これらは消滅しても惜しくない部類に入る。

コメント
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