全国の自治体数が3232から1807になった。44%減である。これによって市区町村議員の数は約20%減のようだ。合併特例債を盛り込んだ改正法が施行された1999年度末と現在の市町村数の比較である。8年にわたる平成の大合併が一段落した。
2007年度は4年に1度の統一地方選挙の年である。都道府県や政令指定都市の知事、市長、議員は4月8日に、それ以外の市町村長や市区町村議は同22日に投票が行われる。しかし合併後は50日以内に選挙を実施して首長を選出するため2007年までに誕生した新自治体ではほとんど選挙が終わっている。
この合併によってゆかしい地名が消失したのではないか。気になるところだ。東京都における今回の合併はただ一つである。田無市と保谷市が西東京市になった。これにより東京都の自治体数は40から39になった。東京で最初に住んだ町が田無市芝久保町であった。西東京市芝久保町になった。調べてみると、田無市本町が西東京市田無町になりかろうじて田無が残った。保谷市の本町も同様で保谷町になった。新しい「西東京」の呼び名はあまり評判がよくない。
鹿児島県は96から49へと自治体数は半減した。その様変わりの一端を見てみる。薩摩川内市(川内市、樋脇町、入来町、東郷町、祁答院町、里村、上甑村、下甑村、鹿島村)、さつま町(宮之城町、鶴田町、薩摩町)、南さつま市(加世田市、笠沙町、大浦町、坊津町、金峰町)というようにサツマの名が入る市や町が3つできた。括弧内は合併前の名である。さつま町では薩摩町は消えたが薩摩町を構成していた求名(ぐみょう)、中津川、永野の地名がもちろんそのまま残った。宮之城町は消えたが宮之城町を構成していた一つの屋地が宮之城屋地となり宮之城がかろうじて残った。南さつま市では加世田市は消えたが加世田小湊などすべてに加世田がついて加世田は残った。奄美市(名瀬市、笠利町、住用村)でも同様で名瀬市は消えたが名瀬入船町などすべてに名瀬がついて名瀬は残った。都市銀行が合併して長い名前になるのと似ている。長くなろうとゆかしい地名が残ることはいいことだ。