玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

「とりあえず」は便利だ

2007年02月08日 | ねったぼのつぶやき

 私も一応自分専用の机をもっている。食卓の回転椅子をそのまま90度左回転させると電話、パソコンがあり更に左に90度回転させるとテーブルとドアホンその下にプリンターを置いている。半間幅のコーナーの奥行きを利用してテーブルと本棚を作りつけてあるので、机コーナーといったほうが適切だろうか。

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 これら機器の周りに平らな面があると重宝する。とりあえず其処に何でも置けるから。朝食を済ませパソコンを覗き新聞をめくる。時に地図やパソコンの手助けを受け、そのうち差し込んでくる朝日を浴びたり、ブラインドで遮ったりしながら在宅時の大半はこのコーナーで過ごしている。

 しかしこの便利というヤツはなかなか曲者である。とりあえずも積もり積もると不具合になる。だから2~3日おきにとりあえずを解消しなければならない。周辺機器なるものは夫々定位置がある。問題は机。も一度読み返したい郵便物、ダイレクトメール、読みかけの本、雑誌、ドリルの用紙、切り抜き、予習途中の本などが積み上げられ、解消が済まないと更にもう一列増えて積み上げられる。

 これらは全て自分の物だから許せる。もし猫殿の机が食卓の近くにあって(あり得ない話だが)このサ・マなら到底許せまい、「片付けろ!」と怒声が飛ぶだろう。そんなわけで2~3日おきに解消作業をし、「あ~スッキリした~」と喜んでは又同じ事を性懲りもなく繰り返している。

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エピソードもいいカナ

2007年02月05日 | ねったぼのつぶやき

 今の仕事を手伝うようになって2年近くたつ。以前から長らく身体や精神に不如意を抱える人々の傍らにいたので、私自身も多くのご本人ご家族の不如意な身体故にもたらされるエピソードと共に過ごしてきたといえる。

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 そんなこともあって一層寡黙ガチ(そうかな?)になったせいもあるのか、プライバシーに関していささか敏感過ぎたきらいもあった。一線を退き、自分の親を見送るなどして来し方の道筋は辿れても、行きし方の茫洋とした中で戸惑いも覚える我が身に思いを致す時、先輩諸氏の在り様を記述してみるのも意味があるように思える。

 私の属している施設は、総数でみると30人近くの利用者さんがいらっしゃる小じんまりした施設だ。月~土まで分散して参加されるので、多いときでも1日10人位なのだが、利用者と同じ数の職員も配置されるので、民間のアパートを改造して作られたぶち抜きの1階の居室は満杯状態になる。

 正職員は3名。他の職員は全てパートで頭数ではナース、栄養士各1名。ヘルパー約10名余。運転手3名だ。運営体はNPOで私の知人が手伝っているどの施設よりも、マンパワーに於いては豊かなようだ。ということは1人1人に目が届くということを意味し、運営的には豊かではない。そんな中で緩やかに参加している私の目に映る日常をたまには記してみたい。(写真はkumarの在りし日)

 

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ドラマ「北の国から」

2007年02月02日 | ねったぼのつぶやき

 このドラマには長年親しんだ。とりわけ同年代の子供を持つ私にとって、ドラマの中の純と蛍の成長は我が子の成長と二重写しになり、感情移入して見たものだ。育ち行く子供達、環境、テーマ、ストーリー、とイズレも絡み合ってファンも多かった。

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 その「北の国から」を先日の別刷りで読んだ。’81年からフジTVで24回放送され、その後も何年かおきに12回の放送された。テーマ音楽を聴くだけであの風景と純のナレーションが思い浮かび、懐かしさに涙さえ浮かぶ。涙には色んな思いがあって一行では書ききれない。

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 昨秋現地取材されたらしいこの記事は、純の職業をゴミ収集にした経緯やドラマ効果で変化した町や人の様子などおよそ2面に渡って書かれており「文・伊藤千尋」となっていた。 アレ!見覚えがある。ヤッパリ!Peace Boatで講師をしたあの記者だ。冒険好きジャーナリストとして知られ特派員をしていた中南米事情、東欧革命中の市街戦の体験談や本の作り方等を話し、仕事を楽しんでらした事を思い出した。

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 さて、脚本家の倉本聡氏は続編を作りたいと意欲を持ち筋も考えているらしい。今落ち込んでいる夕張市まで巻き込んだ展開にして市民を元気付けて欲しい。今年は暖冬で我が家の庭の霜柱は丸で元気がない。こんな冬こそドンと訪れたいが、北海道の「雪祭り」も雪不足で苦労しているようだ。TVで見た厳しい「北の国から」を体験すべく来冬こそツアーに参加しようか。が、冬の最中「北時計」でコーヒーは飲めるのかしらん。それにしても再、再放送、続編が待たれるな~。韓国版は賑やかなのに・。訂正:前回記事でNHKの賠償金は200万円でした。(kumarのホームページから)

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*地名

2007年02月01日 | 捨て猫の独り言

 全国の自治体数が3232から1807になった。44%減である。これによって市区町村議員の数は約20%減のようだ。合併特例債を盛り込んだ改正法が施行された1999年度末と現在の市町村数の比較である。8年にわたる平成の大合併が一段落した。

 2007年度は4年に1度の統一地方選挙の年である。都道府県や政令指定都市の知事、市長、議員は4月8日に、それ以外の市町村長や市区町村議は同22日に投票が行われる。しかし合併後は50日以内に選挙を実施して首長を選出するため2007年までに誕生した新自治体ではほとんど選挙が終わっている。

 この合併によってゆかしい地名が消失したのではないか。気になるところだ。東京都における今回の合併はただ一つである。田無市と保谷市が西東京市になった。これにより東京都の自治体数は40から39になった。東京で最初に住んだ町が田無市芝久保町であった。西東京市芝久保町になった。調べてみると、田無市本町が西東京市田無町になりかろうじて田無が残った。保谷市の本町も同様で保谷町になった。新しい「西東京」の呼び名はあまり評判がよくない。

 鹿児島県は96から49へと自治体数は半減した。その様変わりの一端を見てみる。薩摩川内市(川内市、樋脇町、入来町、東郷町、祁答院町、里村、上甑村、下甑村、鹿島村)、さつま町(宮之城町、鶴田町、薩摩町)、南さつま市(加世田市、笠沙町、大浦町、坊津町、金峰町)というようにサツマの名が入る市や町が3つできた。括弧内は合併前の名である。さつま町では薩摩町は消えたが薩摩町を構成していた求名(ぐみょう)、中津川、永野の地名がもちろんそのまま残った。宮之城町は消えたが宮之城町を構成していた一つの屋地が宮之城屋地となり宮之城がかろうじて残った。南さつま市では加世田市は消えたが加世田小湊などすべてに加世田がついて加世田は残った。奄美市(名瀬市、笠利町、住用村)でも同様で名瀬市は消えたが名瀬入船町などすべてに名瀬がついて名瀬は残った。都市銀行が合併して長い名前になるのと似ている。長くなろうとゆかしい地名が残ることはいいことだ。

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