玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

2年後のご挨拶

2005年03月11日 | 捨て猫の独り言
卒業の季節、今年の退職者の挨拶に触発されて2年後の私の挨拶を試みました。少し変ですか。

自ら希望し、縁あって成蹊で働く機会を得て32年が経過いたしました。はじめは中学生と楽しく過ごしました。夏休み直前に、1年生は海へ、2年生は山へ、3年生は京都、奈良へと出かけました。普段の授業、ホームルーム、生徒会などの日常活動が、関連づけられて海、山、修学旅行の宿泊行事において、自治活動として、集約されていきます。小集団(班)での議論を積み上げる努力をし、それを習慣化すること。一つの流れが生まれると、もはや成蹊の生徒はしらけてなんかいませんでした。そんな、盛り上がりを経験しました。

遡って1960年代には、遠山啓氏が、保護者を巻き込んだ民間の教育運動を展開し、水道方式(計算練習の理論化)等の成果をあげました。いずれも岩波新書ですが「数学入門上下」「現代数学対話」「数学の学び方・教え方」は私の座右の書です。70年代には、学級通信が盛んでした。私も、便乗して「あごらE」という月報を中2から中3の2年間発行したことがありました。

教員交流で10年ほどして、高校に移りました。生徒諸君と同時に進級するのですから違和感はありません。私が受けた高校の数学の授業は、説明はあまりなく、入試問題が並んだテストの繰り返しでした。鍛錬主義ですね。成蹊では文系コースでも最後まで数学を学ぶという方針でやっています。幅広く学ぶことは成蹊の特色のひとつです。私は、ある時期に民間の数学教育研究会に参加していましたが、長続きせず悔いを残しました。それでも研究会の成果は公表されましたから、大いに自分の授業の参考にしました。

これまで、自由闊達な環境の中で過ごせたことは、幸せなことでした。とてもいい生徒たちに囲まれ、見識を持った保護者の方々に見守られ、そして寛大な同僚諸氏の中で、学び、働くことができましたことを心から感謝申し上げます。

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