玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*追悼・翁長雄志

2018年10月22日 | 捨て猫の独り言

 朝日は10月で終わり、つぎは毎日に変わる。この2紙を一年交代で購読している。古紙はゴキブリ叩き棒や、その他けっこう用途がある。古紙回収の前に切り抜きをする。週に一度の歌壇・俳壇(あまり読み返すことはないが)、沖縄関係などが主だ。9月2日の福島申二の「日曜に想う」の「翁長知事の言葉のゆくえ」は繰り返し読んだ。「翁長氏や広島、長崎両市長の言葉はよく練られ、聞く人をうなずかせるものだった。それらに比して首相のそれは常套句の組み合わせを聞かされた感は否めなかった」とある。

  翁長知事の言葉として取り上げられたのはつぎのものだ。「沖縄が日本に甘えているのか、日本が沖縄に甘えているのか」「総理が日本を取り戻すと言っていた。取り戻す日本の中に沖縄は入っているのか」「普天間は危険だから大変だとなって、その危険性除去のために沖縄が負担しろ、と。こういう話がされること自体が日本の政治の堕落ではないか」「歴史的にも現在においても、沖縄県民は自由、平等、人権、自己決定権をないがしろにされてきた。私はこれを魂の飢餓感と表現している」(国と争う辺野古訴訟の陳述で)

 文中で詩人茨木のり子の言葉を引用している。「全身の重みを賭けて言葉を発したところで、受け手がぼんくらでは、不発に終わり流れて行くのみである」と。政権が翁長氏の言葉と切り結ぶことはなかった。沖縄の民意をのせた重い言葉は、一強政権の驕慢に問答無用の体で跳ね返されたままである。中略。言葉は私たちに投げられたのだ。「ぼんくらな受け手」でありたくない。同じ9月2日の朝日歌壇には翁長氏を詠んだ歌が8首も並んでいた。

 祈りは短歌に欠くことができないものだろう。●翁長さん逝くとうテロップの流れれば娯楽番組ニュースに変える ●平成の最後の夏を選びしか八月八日翁長知事死す ●「わたしたち」と言ふ時そこに沖縄を含めていたか翁長知事逝く ●辺野古「NO!」ボード掲ぐる七万に翁長雄志は「帽子」を遺す ●「翁長さんがんばったね」と文太さん基地なき島へ想ひのこして ●いつまでも本土の捨て石ではならぬ気骨示して翁長氏逝きぬ ●沖縄にすべてを捧げ身を削り痩せ衰へて知事逝きましぬ ●辺野古への果たせぬ想い抱へつつ旅立つ知事の無念晴らせよ その後も沖縄を詠んだ歌は散発的に続いている。蛇足ながら9月23日掲載の一首に「音だけで意味を持たない言葉知るああ淀みない首相演説(永田和宏選)」とあった。

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