玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*喜界島

2018年10月15日 | 捨て猫の独り言

 最近のことである。私の親父は喜界島の出身と話したとき、俊寛が流された島ですねと問うてくる人がいる。そんな伝説があるということぐらいはなんとなく聞いてはいたが、喜界島に住んだこともない。ええそうですねと、あいまいに答えていた。新聞に国立劇場で、通し狂言「平家女護島(にょごのしま)」の上演という全面広告があった。

 その広告の中の短い文章を読んで、鎌倉時代の「平家物語」についていくつか、泥縄式だが調べてみた。私は冒頭の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことはりをあらはす」ぐらいしか知らない。朧げな記憶ながら幼い頃に目にした絵物語の俊寛、木曾の義仲、巴御前、牛若丸、那須与一などは平家物語から生まれたものなのだろう。

 近松の平家物語を題材にした「平家女護島」は全五段の時代物で人形浄瑠璃で初演された。歌舞伎では平家打倒の計画に参加して流罪となった俊寛の悲劇を描く「鬼界ヶ島」(通称俊寛)が単独で上演される。ところが今回の国立劇場では平清盛の横暴や俊寛の妻東屋の自害を描いた「六波羅清盛館」と、清盛が亡霊に苦しめられる「敷名の浦」を「鬼界ヶ島」の前後に付け、通し狂言として上演するという。

 

 「俊寛」と題した作品を、世阿弥、倉田百三、菊池寛、芥川龍之介などが 残しているのも驚きだ。平家物語は「鬼界ヶ島」の様子を「島の中には高い山があり、常時火が燃えており、硫黄がたくさんある」と記している。鬼界ヶ島の場所については、鹿児島県の大島郡の喜界島、鹿児島市三島村の硫黄島のいずれかと考えられている。喜界島には俊寛の墓と銅像があり、硫黄島には平成7年に建てられた銅像がある。他にも長崎市の「伊王島」という説もある。

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