玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*黄八丈

2021年12月16日 | 捨て猫の独り言

 「ヤア~沖で見たときゃ 鬼島と見たが 来てみりゃ八丈は 情け島(ショメ ショメ)」はやし言葉のショメは「塩梅(しおうめ)」か「潮目(しおめ)」の説がある。島にはいつも海の彼方から何者かが訪れる。薩摩からの流人が焼酎の作り方を持ち込んだという。夕食では二晩とも地元の焼酎「情け島」をいただいた。

 

 島の絹織物は中世の頃から有名で、米の代わりの年貢とされてきた。そこで「八丈絹」を生産する島だから「八丈島」となったようだ。八丈は長さの単位で、和服二着分(二反)は布8丈(約24m)だ。織物のそれぞれの産地で美濃八丈,尾張八丈、秋田八丈など呼ばれている。養蚕も遠い遠い昔、島に流れ着いた者によって伝えられたという。

 黄八丈の染元である「山下めゆ工房」を見学したとき、そこには日本民芸協会の「柳宗悦会長」から「山下めゆ」さんに贈られた表彰状が掲げられていた。1917年に山下め由さんが創業して、初代・め由さんの染の技術と、二代目・八百子さんの織の技術が結合して「山下家の黄八丈」が完成する。め由さんの孫の誉さんの妻・芙美子さんが三代目として引き継いでいる。

 

 黄色(コブナグサ)、樺色(タブノキ)、黒色(スダジイ)の三種類の染の行程を映像で説明していたのは誉さんの息子、つまり め由さんのひ孫だった。山下家の黄八丈は驚くほど高価なものだ。それだけの価値ありとみた。私は買い物するものとて何もなく、先ほどの表彰状を眺めていたら、三代目の芙美子さんと思われる方が声をかけてくださった。

 

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