玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*柳宗悦と沖縄

2020年08月24日 | 捨て猫の独り言

 柳宗悦は1961年に72歳で死去している。法名・不生院釈宗悦、墓所は小平霊園だ。小平霊園は私の散歩コースの一つで、これまでに柳家の墓所には、もののついでに二度ほど参ったことがある。柳と棟方志功のテレビ番組を見たことで柳についてさらに知りたいと思った。近くの図書館には柳に関連する4冊があった。全集は中央図書館にある。民芸運動の創始者で名高いが、民芸の枠をはるかにこえる多彩な生涯だったようだ。

 

 別冊太陽の「柳宗悦の世界」これは写真集だ。まず読んだのは岩波文庫の「美の法門」だった。仏教美学の四部作は還暦以降に書かれている。つぎに読んだのが阿満(あま)利麿(としまろ)著「柳宗悦~美の菩薩」だった。計らずもこれが「美の法門」の解説書になっていて、大いに役立った。その中の沖縄についての記載が私の興味をひいた。 

 柳は50歳の頃、太平洋戦争の前年、たて続けに4回ほど沖縄を訪問している。染物や織物、建築、踊り伝統文化のもつ美しさに共感し高く評価する。琉球語については日本語の古格を生きて保つものであり琉球語の知識が日本語をしてますます豊かにするものと確信していた。それゆえに沖縄方言の廃止は日本文化そのものに対する挑戦と、柳は厳しく反対することになる。沖縄県の役人は、県の方針を否定するものとして強く柳を非難する。(筆者の勘繰りだがこれも行政が沖縄戦を想定しての深謀遠慮か)そこで柳は1940年に「沖縄県学務部に答ふる書」を公表している。

 「県民よ。公用の言葉としては標準語を勤めて勉強されよ。だが同時に諸氏の祖先から伝はった土地の言葉を熱愛されよ。その言葉はあの女詩人恩納なべの雄渾無比なる詩歌を生んだその言葉なるを自覚されよ。諸氏の中から沖縄語を以て偉大なる文学を生むまでにそれを高揚せしめよ。・・・県民よ、再び言う。・・・諸君は日本国民として不必要な遠慮に堕してはならぬ。県人よ、沖縄県民たることを誇りとせられよ」このとき柳は1945年の沖縄地上戦のことは予想さえしなかったと思われる。

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