テレビの日曜美術館「自然児、棟方志功~師・柳宗悦」を見た。棟方を物心両面で支えて「世界のムナカタ」といわれる版画家に導いたのが、民芸運動で名高い思想家の柳宗悦(むねよし)だ。棟方は作品が完成すると真っ先に柳に見せる。ときに柳は棟方作品を自ら考えたデザインで表装する。棟方(33歳)と柳(47歳)の出会いから柳が死去するまで二人の交流は25年間続いた。この交流をくわしく知って心あたたまるものを感じた。
出会いは2・26事件のあった昭和11年(1936年)の春だ。上野の「国展」に出品していた棟方の版画を初めて見た柳に衝撃が走る。そこへ現れた棟方の様子を柳はつぎのように記している。「心打たれた旨を棟方に話すと いいなあ と叫んでいきなり私にかじりつきました。見ると目に涙を浮かべ、額からは汗の雫が垂れています。小柄で髪がむしゃくしゃし、大変な近眼のようで、眼鏡の奥に大きな眼がぎらぎらし、また胸毛が濃く生えていました」
この年に柳は大原孫三郎の経済的援助を受けて、東京駒場の自邸隣に「日本民芸館」を開設します。棟方との出会いの作品「大和し美し」を民芸館で買い上げることにしました。これまで棟方の版画などを買った人はなかったようです。値は後で知らせてくれるように頼みます。棟方は小踊りして例の「いいなあ」を連発します。ほどなく知らせがあって、それが高価であるのに驚きますが、「よいものはよい、なんとか工面して買おう」となりました。
筑摩書房の柳宗悦全集の14巻に棟方についての記載があります。「棟方のとびぬけている点は、何が生れるか自分でも意識していない点にある。多くの作家たちはあるものをねらって意識的な計画を立てる。しかし棟方の版画は下絵などほとんどない。彫りつつ絵が生れしかも仕事がとても早い。だから棟方が仕事をしているというより、何は背後の力が棟方に仕事をさせているという方がよい。非常に個性的なようであって、他力的な本然的なところがある」棟方は版画の他に絵や書も残している。
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