玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*九州への旅①

2024年04月25日 | 捨て猫の独り言

 「学ぶことの第一歩は旅することだ(吉田松陰)」。旅のあとさきに、よく地図と日本史の教科書を開く。高校まで鹿児島で暮らしたが、九州の近隣他県を訪れる機会は少なかった。4月16日から九州5県を回る3泊4日のパック旅行に参加した。旅行社のうたい文句は「嬉野・雲仙・別府温泉の名湯を巡る」だった。

初日は佐賀県。羽田を9:25に出て約2時間で九州佐賀国際空港に着陸。佐賀空港は県南部の有明海に面した干拓地に1988年に開港した。空港から北にある市街地へは麦畑の中を行く。麦の背丈は低く最初は稲かと思われた。そして佐賀藩十代藩主・鍋島直正の巨大立像に迎えられて、復元された「佐賀城本丸歴史館」に入ると、320畳の大広間に圧倒された。

   

 館内では「江藤新平の没後150年特別展」が開催中だった。江藤新平と後藤新平は混同しやすい。後者は関東大震災で壊滅的打撃を受けた東京の復興に貢献した政治家だ。前者は佐賀藩士で「わが国近代司法の父」と称される。征韓論に敗れ、西郷隆盛らと共に下野し「佐賀の乱」で刑死した。渋沢栄一は「学問があって良くものを知っていても、礼をわきまえなかったばかりに身を滅ぼした男」と評している。

 つぎの見学は有明海に面した鹿島市にある歴史的町並みの「肥前浜宿」だ。そして初日の宿は嬉野温泉の「和多屋別荘」だった。二万坪の広大な敷地の一部に黒川紀章設計のタワー館が聳える。タワー館の外壁には丸に十字の薩摩藩の紋が掲げられている。かつて薩摩藩の常宿だったという。佐賀藩は幕末において大砲を鋳造するための反射炉築造など近代化のトップランナーだった。また鍋島正直と5歳年上の島津斉彬とは母方のいとこ同士である。現在はここで将棋のタイトル戦が行われることがある。館内は日本の伝統美、文化、芸術、芸能を詰めこんで、他に類を見ない異色の旅館だった。

 

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