オープンギャラリーの鈴木忠司さんに触発されて玉川上水への認識が深まりつつあります。鈴木さんの記事では写真の撮影場所が○○橋近くの右岸というような示し方になります。玉川上水にかかる橋の名を自然と覚えることになります。私がこれまで注意しなかった通勤時に渡る橋の名から始まって次第にその数は増えつつあります。土曜日のお昼過ぎは強い風が吹いていました。小松橋近くで小学校の低学年の子供たちに上水観察を指導している鈴木さんを見かけました。ユネスコ協会と年に4回ほど開く大人向け自然観察会には、この日のように一般の方と共に先生も生徒を連れて参加することがあるようです。市報によると他にも 「親子で玉川上水ウオッチング全6回」 などの企画があり大忙しです。
日曜日の早朝ラジオで野鳥の声が流れていました。ホトトギスは星空の日に星に導かれて南から飛来して繁殖し、秋に南に帰るといいます。ホトトギスの鳴き声をまもなく聞くことができるかもしれないのです。あきれたことにホトトギスはウグイスの巣に卵を産み、ウグイスに子育させる托卵という習性があるといいます。上水の藪は刈り取らないほうがいいのか最近私は鈴木さんにお聞きしたことがあります。藪はウグイスが巣作りする格好の場所なのだそうです。私はちょっぴり恥じました。殺風景と感じた藪もそれなりの存在意義があるのです。
日曜日の午後はYさんによるパソコンの訪問指導を受けました。連れ合いが熱心に質問し私は見守る側です。私が完全退職する1年後には主体的に取り組んで家で2台のパソコンが動いている状態にしたいものです。パソコンは人の欲するあらゆることに応えてくれるといっていいほど奥が深いとYさんは言います。メーリングリストによって以前では考えられなかった交流が生まれています。路線図は目的地に着くには何時に玄関を出ればよいか教えてくれます。まだ実行していませんが囲碁の腕前を上げたいと望めばパソコンがいくらでも応じてくれるでしょう。
昨日に続き今朝の 「ラジオ深夜便の心の時代」 は五木寛之の 「わが人生の歌語り」 のアンコール放送でした。1972年の折鶴が最後に流れました。つい最近Yさんにその存在を教えてもらった歌です。歌謡曲の本流から少し離れた端正な歌で、時代の先端を行くあの安井かずみが作詞し、浜圭介とのコンビも珍しいとの話がありました。この番組の本放送は毎月末の日曜日にあります。この放送に匹敵すると思われるのがありました。これもYさんからですが、ブログの 「二木紘三のうた物語」 がそれです。各歌についての記事があり読者のコメントが楽しめます。まだの方は検索なさることをおすすめします。
折鶴は、私も大好きな歌の一つです。歌い手の情報が少ないのがいつも残念でした。しかし二年前、偶然、人権週間に因んだ彼女の講演を聴く機会があり、終演後、アルバムにサインしてもらったり、そして握手したり、ツーショットを2~3枚撮ってもらったりしたときは、天にも舞い上がるような心地・・・・。その写真は大事に保存してます。アルバムにある「1990年」という曲がほんとに良い。
そうですか、あのときはちょうど入籍した頃だったのですね。本田路津子とともに忘れられない歌手です。
歯にきぬ着せぬ鋭いコメントで知られる元東京地検特捜部長の河上和雄弁護士(76)が「折鶴」などのヒット曲を出した歌手の千葉紘子さん(61)と結婚していたことが分かった。
13日発売の「週刊新潮」によると、すでに一昨年に入籍。河上氏は2002年、前妻を脳内出血で亡くしており、千葉さんとは“老いらくの恋”を実らせての再婚となる。
千葉さんは全国カンツォーネコンクール優勝などを経て、1971年に歌手デビュー。翌年「折鶴」が大ヒットした。短大卒業時に中学校教員免許を取得しており、83年からボランティアとして少年院の「篤志面接委員」を務め、刑務所への慰問活動でもよく知られる。2007年にはNHK「思い出のメロディー」に登場した。
河上氏は87年から2年弱、法務省矯正局長を務めており、同誌は結婚のきっかけは“矯正”関係だと指摘。河上氏の弁護士事務所は、「プライベートなことなので」と、コメントは避けている。