玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*養老先生の見立て

2019年05月09日 | 捨て猫の独り言

 養老孟司「真っ赤なウソ」(大正大学出版会)は宗教を考えるときに、多くのヒントを与えてくれます。養老先生は中学・高校はイエズス会系統のカトリックの学校で学んでいます。「宗教とは何だ」って若い人に聞かれると「ウソから出たマコトだ」と答えることにしているそうです。キリスト教は「霊魂の不滅」で仏教は「諸行無常」であり、どちらの前提を採るかによってやることが違ってくると言います。さらに要約を続けます。(多摩湖と狭山湖)

 

 キリスト教の教義の根本は「最後の審判」です。最後に大天使のラッパと共にすべての死者が墓から起き上がって神の前で裁きを受けるのです。そうであればそれまで自分というものがなきゃおかしいんです。「変わらない私がある」ということは魂が変わらないということ。「霊魂の不滅」がないとキリスト教は成り立たないんです。ですから生まれて生きている間も同じ自分であって当たり前です。

 それに対して仏教の立場から本気で考えたら「それはおかしいよ」どこからか声が出ないとおかしい。仏教の世界は「諸行無常」であって「無我」の境地なんですから。無我という意味は考えている私がないということではなく、考えている私が必ずあるということです。ただいま現在あるけれどそれは絶えず変わってゆくもので、どれがおまえだよということになります。

 科学の世界では事実というものは追求できるはずだという信念を持っているようです。しかし客観的にすべてのことを知ることはできず「真相はやぶの中」が本当のところでしょう。NHKの報道局長が「公平・客観・中立」というときに、それはどこまで可能かという問題があるわけです。これは「人間の立場」でなく「神の立場」です。すでにわれわれの考え方、社会の考え方が公式的には、キリスト教的一元論的な世界だということになってしまっている。

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