私が受け取った欠礼のはがきの中から3通を紹介したい。かなり前の2002年の年明けに届いたはがきから始める。冒頭には「寒中お見舞い」とあった。差出人は私より7歳先輩の退職した教師である。私と彼が在職中のことだが、生徒を前に定年退職の挨拶をしんみりと述べたあと、いきなり「な~んちゃって」で締め括るとおもしろかろうと冗談を言い合ったことがあった。はがきはいつものように手書きでていねいにびっしり書きこまれていた。「さて私事ながら母が昨年末96歳で永眠いたしました。故人の意志により告別式は行わず、どなたにもご通知せず、欠礼いたしました。介護する機会に恵まれ、母を喜ばせ、母と共約2年間を過ごし、ぶじ母を見送ることが出来たのは望外の幸せでした。・・・・な~んちゃって!」
のこりの2通は5年先輩の教師からのものである。この両先輩と私の3人はどういうわけか現在でも付き合いが続いている。2006年末につぎのような印刷されたはがきが届いた。「妻〇〇〇〇が去る〇月〇日に65歳で永眠しました。子育てと教職生活を両立させながら、英語・英文学を学び続け、世界の現実に関心を深めていきました。病床に伏す直前まで、地域の英語サークルにボランティアとして参加しました。向寒の折、ご自愛ください」
彼は妻をなくした5年後に母をなくしている。「母〇〇〇〇は〇月〇日92歳で静かに生涯を閉じました。戦中戦後の苦難の時代に五人の子供を育て それぞれが選んだ道を歩めるよう支援してくれました。夫〇〇に先立たれた五年ほど前から認知症が進み 私も毎月新潟の生家に戻り 半月は介護をしてきました。最晩年は言葉が不自由になりましたが 呼びかけには手をさし伸ばして笑顔で応答してくれました。それが私にとって至福の一瞬でした。向寒の折 くれぐれもご自愛ください」
両先輩のこれらのはがきにみられる誠実な生活態度は私をうちのめす。とてもまねできないな~とへこんでしまうのだ。こんなときに私を救ってくれる言葉の一つに「色即是空 空即是色」がある。「空」は無意味ということである。すべては空であるのに人間はなんにでも意味づけをする。本当は善悪も浄不浄も美醜も、そんなものをはかる物差しなどない。人生を「こう生きなければいけない」などと考えるのは窮屈である。(写真は日展会場にて)