あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

旧住友家俣野別邸その2 1階

2017年07月23日 05時27分11秒 | レトロ建築
旧住友家俣野別邸庭園見学(2017.7.16)。昨日は建物の2階部分を紹介しました。展開図では俣野別邸はY字型をしています。今日は二股の南棟と事務棟の紹介をします。
南棟の2部屋(洋室・和室)は、現在貸し集会室です。



係員さん「集会室として使うために、再建時に天井に照明を足しました。あと、会議ができるようにテーブルも入れました」

実質横浜市が維持管理してるのでしょうが、2部屋貸し出しに使ったところで維持費は賄えないと思います。雑な使い方されて痛んだり、修理代の方がかさむんじゃないかな?と少々心配です。オリジナルに火をつけた放火犯も確か捕まってないよね?
例えばこれ。

貸し出しに使う集会所の洋室の奥に障子です。
係員さん「吾妻障子の桟に面取りしてあります。実は、ここの障子紙を張り替えるのはすごく大変で、さんに縦ひごを渡し、新しい障子紙が乾いたらひごを外すという手間暇のかかる作りになっています。だから『絶対に破かないでね』と言われています」
そういう障子、どこかのレトロ建築でも見たわぁ〜。どこで見たんだっけ?昔のお金持ちはわからないところにお金をかけていたのね。
貸し出しの集会所の洋室の床部分。オリジナルの建物と同じように再建したので、床も手間暇かかる床材の貼り合わせの市松張り。

貸し出し用の集会所の2部屋の前の廊下はワイド設計。広縁です。

窓の外はこんな感じ。
係員さん「左手の藤の木は、火災で焼け残ったオリジナルの植物です。手前の睡蓮の池もオリジナルです」
和と洋が馴染む植物を使ってるのですね。だって、芝庭に松がないもの。
広い廊下な広縁の先に、サンルームがあります。

館内は冷房完備なので、座って休憩しても暑くないよ?屋外は35度の真夏日だけどな。
ちなみに、サンルームと広縁の廊下の角にこんな内装があります。
建物の壁はレンガ造り。その上に白に少し黄味がかった色を足した漆喰塗りです。でもこの一角だけ漆喰を施してません。構造が分かるようにしてあるんだって。
サンルームの先に大きな部屋があります。現在の名前は「展示室5」ここは変わった造りになってます。
まず入ってすぐ黒漆の丸い柱。2階の船底天井があった畳のベットみたいなのがあった部屋の柱とほぼ同じ大きさ。
別角度から。
結構驚くけど、ここは更に建物が屋外に面してる壁がとても変わってます。

分かります?防音加工の分厚い窓。

この画像だと窓ガラスの厚みがよく分かるかと?後窓ははめ殺し。開きません。
更にこう!
外の空気を取り入れる上げ下げのできる窓が別にあります。窓の外に、鉄製の扉があるんですよ。ちなみに、鉄扉がある窓はオリジナル。焼け残ったのかな?
中は普通に部屋なので、お蔵じゃありません。おそらくですが、ここは増築部分だとのことなので、戦争中の避難場所だったのかと推察。俣野別邸は河岸段丘に立地してるので、防空壕を掘るのも可能だったと思うけどな。住友家当主が空襲を恐れて防空壕に隠れるよりは、スマートな避難部屋ですね。今でいうパニックルームかな?
入室当時、展示室5の奥に続く扉は開けてありましたが、係員さんが扉を閉めるとあらびっくり〜!!

布張りでした。2階の丸い部屋(展示室1)の出入り口も、オリジナルが建築当初は布張りの引き戸だったそうなので、こんな感じだったのかな?ともかく、黒塗りの柱と布張りの扉のおかげで、窓の外の鉄扉は気になりません。圧迫感が軽減されています。空襲時の避難部屋というより、防音室。映画やロックを大音量で聞いても大丈夫!な部屋かも?まあ、住友家のご当主のお屋敷ですから、中で大きな音云々出そうが、誰も非難しないと思うけども。
ところで、布張りの扉の奥に何があるか?というと、結構意外。や、あって不思議じゃないけども。

焼失前のオリジナル。

同じく、作り付けの棚。オリジナル。かつては棚の手前に洗面所があったのかも?係員さんに説明してもらったのに思い出せない。もうヘロヘロだったんや〜。覚えること多すぎる〜。
あ!後この部屋にはこれもありました。
ピンボケですみません。昔の暖房器具です。これ、何て名前だっけ?オイルヒーターだっけ?レトロ建築見学をしてると、あちこちで見かけるやつ。俣野別邸には煙突が一つありまして、暖炉もありますが、ほとんどの部屋ではこれを使ってたそう。
あと、展示室5の防音部屋の隅に小さなレトロ家具が置いてあります。
今一、この部屋には合ってないよな〜??
係員さん「以前の持ち主が、寄贈してくださいました。この建物内で使われていたオリジナルの家具です。どこの部屋で使ってたかわからないんですが」
火災になったのは、2000年に相続税で建物を物納。公開に向けて修復工事中に火災になったので、オリジナルの家具や建具は運び出してあったのが幸い。

そういえば、これが展示室5に入ってすぐの足元収納。使い方によれば、この上に掛け軸とか飾れそうだけど、そういう使い方はしてなかったんだろうな〜。この部屋をどう使ってたのか聞いてみたいけども。
Y 字のジョイント部分に戻ってきました。ジョイント部分は再建時にトイレやエレベーターを造りました。

こちらは事務棟です。かつては使用人が使っていた部分。調理室もあります。現在俣野別邸の主屋1階のかつての食堂は、喫茶室としてコーヒーなどを楽しめます。調理室でやってます。ちなみに、喫茶室のみ利用する場合は、入館料の400円は無料です。いいかも〜。
さて、事務棟は現在も事務棟として使用されていて、公開してるのは和室と書庫の3部屋のみ。

かつて使用人が使っていた部分と伺いましたが、廊下が広くて驚きました。何てゆーの?この建物ってほとんどバリアフリーなんだよね。段差とかあんまりなかったような?車椅子とか使うのもほとんどストレス感じないんじゃないのかな?オリジナルの建築当初からこうだったとしたら、ご家族にどなたか体の不自由な方がいらしてたのかも?と思いましたが、係員さんに聞けません。大人の事情で建物のかつての歴史や住人については話せないのです。話せないことを聞けません。
こちらは使用人の出入り口のお勝手口。
なぜにこの画像を撮影したか?というと、扉の先は現在非公開の地下室の入り口だから。
係員さん「中は暗くて怖いんですよ〜。入る時は大変です。俣野別邸には2つの地下室があります。ここは機械室でした」
たぶん、ボイラー室とかかな?横浜の山手のベーリックホールの地下にあるみたいなの??



公開されてる続きの和室2つ。よく見ると、部屋の天井の高さに違いがありまして、当然天井の高い方が格上の部屋。
和室なので、ここから見えるお庭は和っぽい。

後で屋外を回り芝庭へ行きましたが、垣根が高く作ってあるので、和の庭は外から全く見えないようになっています。
和室と庭の間の廊下はここも広かったけども、見所は梁とかです。

古い木材は焼失時に焼け残った部分の再利用。あ。そういえば、説明し忘れてましたげど、係員さんが見学途中に時折窓をわざわざ開けてくださったのですが、窓に全部昔式のカギがありまして、ネジを回して開け閉めするのね。私が小さい頃にはまだあちこちのお宅に残ってましたが、アルミサッシが普及してからとんと見なくなりました。再建なので!アルミサッシはありません。使えるものは使う!と。焼け残った建具や金属部分を再利用して再現してる場所もちらほら。
奥に書庫が。


わかりますね。ここも焼け残った部分です。床材・梁の建具部材、作り付けの棚も焼け残ったオリジナル。でもさあ、使用人棟のさらに奥にあった場所なので、実用優先。装飾はない。オリジナルとはいえ見てあんまり楽しいものじゃないなあ〜。でも確か、照明は再建時につけたと言ってたような??もう記憶がおぼろげ。覚えることが多すぎたんや〜。疲れたので続きは明日。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする