あられの日記

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遊行寺と小栗判官&照手姫のお墓

2017年07月19日 06時25分26秒 | 墓所巡り
2017.7.16.8:38到着。
遊行寺さんの入り口は他にもありますが、歴史情緒あるこの入り口がオススメです。

参道もこんなに素敵でしょ?画像では分かりにくいかもですが、緩やかに奥に向かって傾斜が高くなってます。

石垣ファンには参道の左右にある石垣もオススメです。丁寧に格調高く石を加工してあります。
トップ画像の入り口の左右に青銅の大きな灯篭がありまして、これも鑑賞ポイントです。

説明板発見:青銅製燈籠
浅草・芝などの江戸講中や戸塚宿など遠近の篤志者が一体となって建立、寄進した燈籠です。高さ約2、8メートル、石製台座を含めて3、9メートルの大きさで、台座に500名弱の寄進者の名が刻まれています。銘文には天保13年(1842)8月の建立とありますが、左側燈籠に「遊行57世 他阿上人一念書」の銘があるので、一念上人が遊行相続した嘉永元年(1848)以降に一対である現在の形に仕上がったと考えられます・
鋳造師は江戸神田の西村和泉守藤原政時で、8代目となります。他に東京都千代田区の平河天満宮鳥居などを手がけています。」
なるほど〜。幕末に500人の寄付金で作ったのね。
あれ?
ダンナがいない…。多分先に行った模様です。
チッ!参道の左側に浅割板太郎のお墓があるから紹介しようかと思ったのに。
仕方ないので追いかけてみたら。

この大銀杏も紹介しようと思ったのに。ダンナがいない。

訪れた2017年7月16日(日曜)の早朝は、境内で骨董市が開催されてる模様。覗いてみたかったけど、ダンナがいない。探さないと〜??遊行寺さんは大きいのう。

手水舎です。まだアジサイが綺麗です。
手を清めます。

あ。ダンナ発見!先に参拝してたのね。一声かけてよ。

私「そこで止まって〜。階段を降りないで〜」
一応振り返り、大イチョウと一遍上人の立像の説明をする。
この後、一旦降りて境内とか骨董市散策もありなのですが、もうすでに体感で30度超えてるのね。今日の最高気温は35度予想だし、大分疲れてしまったので、今更降りたくない!
私「ここから右手の坂を登ります!先に参拝してくるからちょっと待ってて」と。急いでお参りを済ませダンナを案内する。遊行寺さんはかつての旧東海道に南側を隣接してまして、お正月の箱根駅伝でも難所の遊行寺坂になってます。つまりですね、境内を奥に進むと上り坂なんだよね。

到着したのは小栗堂。
この裏に小栗判官と毒殺された家来10人のお墓と名馬と照手姫のお墓があるんだよね。

小栗判官と毒殺された家来10人のお墓
小栗判官が目を洗った泉跡。


名馬のお墓。

照手姫のお墓。
今の子らは小栗判官の復讐成就のお話なんか知らないよね〜?80歳位の人には馴染み深いお話かもしれんけどさ。
説明板発見:(伝)小栗14代城主・小栗孫五郎平満重と火神の墳墓由来について
桓武天皇の曾孫・平上総介高望から7代の子孫と伝えられる平重家(平上総介重幹の4子)は、平安時代の久寿2年(1155)に、伊勢皇太神宮小栗御厨(神領)の保司(長官)となって要害の地で会った小栗山(協和町宮本)に築城し、地名の小栗を称して小栗氏となり、その子孫は15代に至るまでの300年余の間、領主として常陸の国(茨城県)の小栗地方を統括され、盛衰の歴史の中に小栗部名の威光を見るに至りました。
その小栗14代城主であった小栗孫五郎平満重は、室町時代の応永30年(1423)8月2日、関東公方足利持氏との激戦に奮戦拙く破れ小栗城は落城しました。
この落城により満重はその子助重と十勇家臣共に、一族の小栗貞重等(愛知県)を頼って落ち延びる途中、相州藤沢近辺の悪党横山大膳の館(横浜市戸塚区東俣野)で、歓待宴酒に毒を盛られ、家臣十名は毒殺されて哀れにも上野ケ原に捨てられたが、幸いにして時宗総本山・無量光院清浄光寺(藤沢市)八世・(遊行寺14代)他阿太空上人のご光配によって藤沢山境内に手厚く埋葬されました。
幸運にも照手姫の助けによってこの大難を逃れ、九死に一生を得た小栗助重は、熊野本宮湯ノ峰温泉(和歌山県牟妻郡本宮町)に浴して快復し、父道重の死(応永33年3月16日)後、10余年を経た嘉吉元年(1441)の結城合戦(結城市)に、幕府軍の将として活躍し、その論功により再び小栗領に復しました。
なお助重は、毒殺という非業の死を遂げた十勇家臣の菩提を弔う追善に、藤沢山に入り、追孝謝恩の歩様を持って父満重と家臣の墓石を、八徳池のほとりに営んだと伝えられています。
またこの施主助重が、世上有名な小栗判官とされた室町時代の武将で、小栗15代城主・小栗彦次郎平助重であります。(御戒名:天照院殿前金井太陽宗源大禅定門)。
ここに、無念にも相州の野辺に露と消えた小栗十勇家臣の悲惨な死を哀悼し、さらにその追善への意向を表敬して、小栗主従墳墓の概略由来などを顕彰するものです」 
さて時刻は午前9時になりました。こっから旧東海道を東京方面に信号を4つ越えると、次の目的地の入り口になります。しかし、旧東海道と言っても、遊行寺坂を登るのですよ。もうヘロヘロ。しかも暑い〜。影ない〜。坂の両側は切り立ってて、休めない〜。辛抱たまらず、「遊行寺坂上」バス停手前の歩道橋の階段に影を見つけ休憩しちゃいました〜。
休憩後、しばらくはまた上り坂。旧東海道の道の両側に、かつての松並木が再生されてる場所に出た。

よ、ようやくの日陰です〜。もう干からびる〜〜。上の画像の撮影時刻はまだ9時22分ですよ?でも体感は35度!です!!影がないと、アスファルトは照り返しがですねっ。辛いデスゥ〜〜!!
遊行寺(小栗堂)から旧東海道の遊行寺坂を登って信号を4つ超えて、ようやく目的地の入り口を見つけました〜。

お越しの際は、徒歩での訪問でなく藤沢駅から戸81系統の戸塚バスセンター行きに乗って「鉄砲宿」バス停下車がおススメです。バス停から徒歩5分で行けますよ!
*7月21日に画像と文章を追加しました。
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