あられの日記

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鵠沼の蓮池開花情報2017/7/16現在

2017年07月17日 16時16分04秒 | 蓮と睡蓮
2017.7.16早朝訪問。
あまりにも暑すぎて散歩に不向きな天候が続いてますので、早朝に出発し、昼で帰宅な計画を立てました。自宅を朝6時15分に出発。最寄りの小田急相模原駅発6:38。相模大野で乗り換えて藤沢駅へ。片瀬江ノ島駅行きに乗り換えて一駅。本鵠沼駅へ。到着した街は住宅街でしたが、曲がりくねった細い道の両側に、おしゃれな家や店が並んでました。駅から道なりに、ゆるい下り坂をしばらく。目的の蓮池が見えてきました。到着時刻が7時26分です。

トップ画像に池の淵に並ぶカメラの砲列。カメラマンの待ってるのはカワセミです。
見つけたので一応撮影してみた!

わかります?止まり木にカワセミがいるんですけど?
画像をトリミングして切り出してみた。
止まり木の中央にカワセミが停まっています。
周りはでっかいカメラを構えてる方ばっかりで、どうにも私は場違いです。カワセミは水面にだいぶを繰り返し、そのたびにシャッター音が止まりません。

さて?蓮池を回ります。

これは開いたばっかりの花の模様。蓮は1日目に早朝に花開き9時ごろ閉じる。翌日も同じ。3日目には開いた花が閉じないまま散る花です。見分け方は簡単で、蓮の中央の花托の周囲にある花粉がこじんまりしてるのが1日目。上のね。ここが伸びてると2日目。3日目には、花托が豚の鼻か?というくらい目立つようになります。

蓮池の周囲は散策路がありまして、1周回ってみました。すでに花数は少なめになってますが、まだまだ蕾も多いのでまだしばらくは楽しめそう〜。

蓮池は桜小路公園と名付けられてます。
あ。説明板発見:
鵠沼のはす池と蓮について
昔、境川が蛇行して流れていた際、洪水で川の流れが変わり、鵠沼の低地にいくつもの池や沼が残りました。それらの池には冬になると鵠(くぐい)=白鳥が飛来していたことから鵠沼という地名の由来になったとされています。
それらの名残の蓮池は7つあったとされていますが、周辺開発とともに埋め立てられ、現在は第一はす池と第二はす池の2つとなりました。
第二はす池周辺は昭和62年に桜小路公園として整備され、小田原城や鶴岡八幡宮より蓮を株分けしてもらい移植しましたが根付かず、平成4年に京都より誠蓮(まことばす)を移植し、植え付けに成功しました。
第一はす池には昭和30年代前半まで白っぽい花の咲く蓮があったそうですが、ゴミの不法投棄や冬場の渇水で、いつの間にか枯れてなくなってしまいました。
その後、鵠沼女子校(現鵠沼高校)が第一はす池一帯をグランド化する計画を発表しましたが、地域住民が池の存続を求めた結果、高校は池を残し、藤沢市に貸し出し管理を委ねる事となりました。
その際、第一はす池は造園しなおされ、ヨシやガマなどが水辺に植えられました。
平成20年、第一はす池と第二はす池に、特定外来種アゾラ・クリスタータ(水生シダ植物)が大繁殖し、赤い浮草は水面を覆い尽くし、池の生き物の生態系を脅かす事となり、地域のボランティアが6年かかりで駆除活動を行いました。浮草を全て取り除くには、障害となりガマやヨシ、枯れ蓮や雑草を刈り取る必要があり、第二はす池については、作業により池の中央部のヨシが枯れ、誠蓮の領域が広がり、毎年多くの紅色の蓮の花が咲くようになりました。
一方で、第一はす池にも蓮を復活させようと、赤い浮草がなくなった平成26年春に舞妃蓮(まいひれん)という品種を6ケ所に植え付けましたが、ほとんどの蓮根は腐ってしまい、唯一タライの中に植え付けた2つの蓮根から3輪の花を咲かせることができました。翌年の春、タライの中でとぐろ状になった舞妃蓮の地下茎を第一蓮池の泥に直植えすると、半年で91輪の花が咲き、念願の植え付けに成功しました。開花数は毎年30倍づつ増え、昨年は3ヶ月に2700輪が開花し、ピーク時(6月20日ごろ)は、数百輪の大輪が一斉に開き、名実ともに「蓮池」となりました。
へえ〜。地域ボランティアの力で綺麗な蓮池を見れるんですね。
ちなみに、ピンクの蓮の誠蓮が第二はす池ですので、第一はす池を見るべく移動します。

終わってました。先ほどの説明板にも舞妃蓮は6月20日に一斉に花開きとあったので、早めに見頃を迎える品種のようなので当たり前ですねえ。

説明板発見:舞妃蓮(まいひれん)誕生の秘話
舞妃蓮は、昭和41年に和歌山県御坊市の高校教師であった坂本裕二先生が、王子蓮(黄色系)を父親に、大賀ハス(紅系)を母親にして交配させた鑑賞蓮です。
父親である王子蓮は、昭和34年にご成婚された皇太子(現天皇陛下)ご夫妻が、翌年に訪米された際、コロラド州デンバー在住の小川一郎氏より贈呈された蓮の実を、大賀ハス(古代蓮)を発芽させた大賀一郎白紙に託して開花させた所黄色い花が咲く蓮であったため、皇太子にちなんで「王子蓮」と命名されました。
一方で、母親である「大賀蓮」は、大賀博士が昭和29年に千葉県検見川底の2000年前の泥炭層から発掘した蓮の実を開花させた貴重な品種です。
大賀博士の弟子にあたる坂本先生は、父親の王子蓮と母親の大賀ハスの間に産まれたはすを当時の皇太子妃にちなんで、当初はクラウン・プリンセスと命名していましたが、観察すると花弁が舞っているようい開いたり閉じたりすることから、ダンシング・プリンセス(和名:舞妃蓮)と命名し直しました。
その後、昭和43年に当時の皇太子妃美智子様に献上され、現在では皇居の噴水越しょ北側にある花陰亭前の池や宮殿芳菊の間の前庭などで栽培されているそうです。
舞妃蓮は真皮に満ちた古代種と皇太子ご夫妻が持ち帰られた外来種の交配種で、この上品な花を鵠沼のはす池に咲かせたいと言う思いで、宇都宮城の埋め立てられたお堀から400年前のはすの実を発見し、開花させた宇都宮城跡蓮池再生検討
委員会の印刷事務局さんより舞妃蓮の蓮根を譲り受け、第一はす池の泥の底に植え付けました。」
もともとは自分で交配して作り、ダンシング・プリンセスと名付けたの蓮を和訳して「舞妃蓮」と称す。坂本先生は、ロマンチストだと思います。

花の咲いてない蓮池を見てたらダンナが「鳥が面白い」とポツリ。
ん??
それって、スターカワセミVSすぐそばまで寄ってくるのに、カメラマンがいないぼっちなカルガモという事か?
でもしょうがないんじゃないかな?カワセミ様はスターなんである。カワセミ様だと賞を狙える大スターだもの。
対して、かるがもはな〜。子連れならば、ひょっとして??というくらい、地味な鳥だしな〜。

さてと?ダンナのモヤモヤはぶった切りますよ。
当初の予定では小田急線の本鵠沼駅から藤沢本町駅へ移動するつもりあったんだけども?まだ8時前なんだよね〜。それにダラダラと続いてた坂道をもっペン登りたくない。
ってなことで、江ノ電「柳小路駅」を探します。江ノ電で藤沢へ移動して、そっから遊行寺を目指すんだ!これが後々結構大きなポイントになってると、この時の私は全く気づかす。しかも「柳小路駅から藤沢駅まで二駅で、初乗り運賃なのに190円もするなんてぇ〜〜!!」と愚痴ってました!後々これが正解だった!とわかるんだけどもさ。

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