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あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

国分寺の美しい散策路

2013年12月04日 05時18分35秒 | マンホールのふた
訪問日は2013年11月29日。JR中央線国分寺駅南口から2分の近代別荘庭園・殿ケ谷戸庭園(一般:150円)で紅葉を満喫した後、国分寺市の観光協会推奨のウォーキングコースから「こくぶんじ恋のみちコース」を選択。その選択はど~よ?って気もちらりとしましたが、このコースはなかなかの歴史散歩コースでもあるのです。
コースは不動橋と石造物ー都立武蔵国分寺公演ー真姿の池湧水群ー国分寺市武蔵国分寺跡資料館ーお鷹の道ー国分寺市おたかの道湧水園ー史跡の道おたカフェー国分寺ー万葉植物園ー武蔵国分寺跡僧寺金堂・七重塔とか(国史跡)ー市立歴史公園武蔵国分尼寺跡(国史跡)ー伝鎌倉街道(市重要史跡)距離:5キロ。所要歩行時間:約1時間50分となっています。
では早速。
殿ケ谷戸庭園から南へ。すぐに国分寺崖線が現れます。崖線はいわゆる多摩川の段丘です。過去にも、静嘉堂文庫~喜多見までウォーキングした時世田谷散歩開始(2013年1月12日)の記事 岩崎家廟(2013年1月14日)の記事 に、国分寺崖線のせいでウォーキングコース内に何度も坂が現れて大変だったのですが、今回の国分寺ウォーキングでも崖はウォーキングの難易度を上げてくれます。
ではウォーキング開始。まず現れたのがトップ画像の不動橋と石造物
こちらは国分寺村の元町用水と野川が合流する所に架かる橋です。橋の北側に不動明王碑が祀られていることから、名付けられました。碑の横には庚申塔があり、松の木をはさんで、石橋供養塔があります。供養塔は、かつて石橋だった不動橋を供養する意味と、村に災害の侵入を防ぐ意味から天保3年(1832)に建立(再建)されました。「以上、国分寺歴史・観光マップより」
石橋を渡ると西へ向かいます。道の入口に「お鷹の道」はこちらの案内が出てます。
生活道路をしばし。と。何かある!

撮影禁止と書かれてあったので、少し離れて店の外観を撮影してみた。何が撮影禁止なのか?といえば、店の入口に生きたふくろうが2羽木に止まってるのだ!目が合った~~。驚いた~~。
生活道路だからか?昔道なのか?道路は結構曲がりくねってて、三叉路とか、二叉道が次々と現れて惑います。
ああ、動揺する心を慰めてくれうカラーマンホールよ…。
やがて、「お鷹の道入口」とある細い道発見!

お鷹の道は小さな水路を伴ってます。地元の愛好家がこの水路でカワニナを育ててるようで。「カワニナを取らないで下さい」との札も出てます。どうやらホタルの出現ポイントなのね。
って!!ここは東京都の生活道路だよ?ホタルがいるんか~~??凄過ぎる…。

お鷹の道は良いウォーキング道です。今どきは住宅の庭のモミジも綺麗ですし。
ちなみに「お鷹の道」の名前の由来は、江戸時代に尾張徳川藩の御鷹場だったことから名付けられた散策路なんだそうで。
お鷹の道に沿って流れていた水路はある時北へと折れてました。

視線の先に斜面があります。あれって国分寺崖線だよな~。って事はまだ上り?…ま。行ってみるか?
斜面の手前にあったのが真姿の池湧水群です。
東京都指定名勝・全国名水百選(昭和60年)・都名湧水57選)
嘉祥元年(848)、絶世の美女・玉造小町が思い病気に苦しみ、国分寺の薬師如来に祈ると、一人の童子があわられ池の水で身を清めるように言いました。小町が身体を洗うと、たちまち病気が治癒し、元の美しい姿に戻ったという伝承から、この池を「真姿の池」と呼ぶようになりました。
真姿の池湧水群などの国分寺市内の湧水は、野川の源泉です。
野川は世田谷区の二子玉川で多摩川に合流しています。(国分寺歴史と観光マップより)
さて…。
実はですね、ウォーキングにあたり、YAHOO!の地図をプリントアウトして持参してるのですが、真姿の池湧水群周辺は既に旧武蔵国分寺跡で史跡公園にあたる事はわかるのですが、広い公園のどこに史跡があるのか?が分からない。しかもっ!!現地に来てみて分かりましたが、公園内を国分寺崖線が横切っていて、公園内には高低差が発生し公園を見渡す事が出来ないのです。
どこに行けば…。取り合えずお鷹の道に引き返し、更に西へ向かう事に。や。目の前の坂道は、出来る事なら上らずにおきたい…。帰宅後気付いたんだけど、歴史散策の観点から見ると、ここで崖線は上っておくべきでした。実は斜面の上に史跡武蔵国分寺跡・僧寺北東地域に該当し、かつての国分寺の北限の境界溝の様子を復元した断面などがあったのです。やっちまったぜ…。道沿いに設置してある地図を見て後悔したものの、今更引き返すのは…。惰弱な体力がな…。

お鷹の道沿いになんかあった!

おたかの道湧水園・武蔵国分寺跡資料館です。入園料:一般100円。
ハイっ!ケチッちゃいました!私のアホ~~っ!!視界の奥にこれ見て入るのをケチる自分が哀れじゃ…。
なぜにパスしたかというと、携帯電話の残り撮影可能枚数です。昨日の記事でもぼやいてますが、訪問日の11月29日はお正月の帰省切符の12月29日分予約発売日でして、町田駅に朝予約に向かったのです。例年ならば、ここで新宿御苑で紅葉の様子を撮影してまた町田駅へ引き返します。ところが、携帯電話の撮影可能枚数があと50枚程度しかなくてですね。急遽行き先変更したのです。だからして、ここで撮影してしまうと国分寺跡の撮影が出来ない~~っ!とま、諦めたのですよ。や。綺麗な紅葉は一期一会。歴史巡りは今にこだわるモノでもなかったのでここは入場しとくべきだったと、帰宅後反省しましたよ。
お鷹のみちを更に西へ。
と。突然でかい楼閣が見えてきた!
何コレッ!?
あ。説明板発見:市指定重宝・国分寺楼門昭和51年10月7日指定
建物は間口三間(約6、2メートル)奥行き二間(約3、7メートル)の楼門造り、板金葺きで、江戸時代の建築様式をよくとどめています。
この門は、米津出羽守田守(通称内蔵助)の元菩提寺として建立された米津寺(東久留米市)の楼門を明治28年に移築したものです。国分寺の境内の諸建築物とともに、国分寺の変遷を知るうえで重要な建物です。
*米津出羽守 出身地は、三河の国碧海郡米津村で出羽守田盛の時に久留米村前沢を知行地とする。
       石高は、一万五千石。大阪常番を勤める。

先ほどの狭いお鷹の道の先に突然現れたから驚いた!
楼門の奥には真言宗のお寺もあった!や。跡地だと思ってたからして、まさか国分「寺」が現存してるとは…。
地図にあったのは万葉植物園だったんだけどね。ホラ。今秋でしょ?となると、植物はあらかた葉を落としてます。もう説明板に書かれてる植物がどれがどれなんだか???
さて…。次はどこへ行こうか?って。なんか校外学習の集団が南へ向かっています。
ーーー着いてってみようかな?
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りっくんランドでパンツァーフォー

2013年07月05日 05時33分33秒 | マンホールのふた
訪問日は遥か彼方の2013年3月9日(土曜日)です。今年は3月に入ると同時に気温が急上昇。梅だっ!桜だっ!!と。お花見散歩の記事を優先してしまい、後回しにしていた記事です。もう記憶もあんまり鮮明ではないから、サラッと紹介しますね。
3月9日。朝8時29分発の小田急相模原駅の小田急線に乗って、代々木上原駅から千代田線へ入る。明治神宮前駅で東京メトロ副都心線に乗換えて、終点和光市駅へ。到着したらば既に9時48分でした。大分ヤバいです。なぜって、スプリングフェアの開催は午前10時からなのだ。スプリングフェアに合わせて、大型トラック体験試乗を実施。定員144名に入れないと試乗出来なくなってしまう~~~。
そんな訳で、和光市駅から猛ダッシュで陸上自衛隊朝霞駐屯地にあるりっくんランドを目指します。

足元にカラーマンホール発見!つーても暢気に撮影してる場合ではないっ。
猛ダッシュといっても、トロい私のこと。到着したらもう10時は超えてました~~~。

やっちゃったよ…。
既に大型トラック試乗体験希望者が行列しています。普段は乗ることの出来ない大型トラックの荷台に乗って、朝霞駐屯地を1周するこのイベントは、大人気の模様。前段:午前10時ー午前11時半。後段:午後12時半ー午後2時半。スケジュールはかくの如く。先着順で整理券を配布していました。もちろん私たちも列に並んだけどっ。もらった整理券には、5組 12時45分にイベントホール集合との印刷文字が!!
うそ~~んっ。本日の予定は、りっくんランドー椿山荘で椿鑑賞ー小石川後楽園で梅鑑賞ー亀戸天神で梅鑑賞と。予定が盛りだくさんなのです。
まづは、亀戸天神を諦めたっ!でも~~。さすがに12時45分集合は…。ああ。もう少し早く出発しとけば…。後の祭りです。
と。とにかく、先にスプリングフェアを楽しもう!
気持ちを切り替えて、さっそく屋外展示の車両見物へ。

最初に登場したのは、陸自の救急車です。

中はこんな感じ。
救急車の隣に、まさかの10式戦車発見!
こ・これって、陸自の今の主力戦車じゃなかったっけ??いいのかっ??
実はこの10式戦車の記事は既出なのです。
10式戦車の見学に(2013年3月22日)の記事
この時、去年の秋ー冬に放送していた『ガールズ&パンツァー』の延期になってた本放送があり、最終回前にど~しても10式戦車の記事を~~と。先出ししてあったのです。超クールな戦車はこちらの記事でご覧下さい。
さて。10式戦車以外にも戦車の展示が複数あってテンション上がりまくりっ。

つーても、私、戦車は詳しくないの。今まで参加してたイベントも海自と米軍ばかりだったから、戦車の本物自体始めて見ました!

屋外展示は数台車両があったから、明日も戦車紹介続きます。

やっちまった~。
最近は寝る時にベランダの窓を開けたまま寝てるんですけど。朝起きたら窓の前が濡れてました~~。
へ・凹むっ。
どうやら夜の間に雨が降ってたらしい。しかもっ!風が強かったのか、雨が吹き込んでたらしい。
気付けよっ!!
たとえ寝たとしても気付けっ!!
や。実はベランダのコンテナに植えてあるユリがようやく開花して、今芳香を放ってまして、窓は明けときたいの。という訳で、今現在も時折降る雨&強い風で窓を閉めたり開けたりを繰り返しています。
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面白看板&カラーマンホール

2012年05月08日 05時31分55秒 | マンホールのふた
散歩して疲れて来ると視線が足元に落ちて来ます。するとたまにマンホールに色がついているのを見つけるんだな。
トップ画像は、立川市のマンホール。JR立川駅から昭和記念公園に向かう途中の道で見つけました。
続いては鎌倉市のカラーマンホール。
鎌倉市のマンホールの蓋は、他の街に比べて普通なので今まで撮影したことなかったんですが…。
中央のササリンドウが鎌倉市です。ちなみにササリンドウは源氏の印です。
源氏と言えば…。
不動産屋のシンボルマーク
JR鎌倉駅を降りると、正面にバス乗り場があります。そこを抜けた所にある不動産屋さんのものです。ここ最近鎌倉で複数見かけるようになりました。ちなみに画像はJR鎌倉駅の西口で採取。どうみても、流鏑馬がモチーフです。
最後はコレ。

わかります~?江の電の江の島駅近くで採取しました。
信号待ちしてて気づいたんですよ。画像に写ってる魚・貝・エビに注目!
気づきました?
あ。分からない?
ではアップでハイ。

ええ、そうなんですよ。このお店の名前ふなぜんさんの文字で魚・貝・エビの身体が描かれてるのです。
遊び心があってこういうの好き~。   人気ブログランキングへ
カラーマンホール過去記事
掃雲台がないっ!(2011年11月15日)の記事
川越で見かけた萌え(2011年7月17日)の記事
海が見たい(2011年2月6日)の記事
座間のカラーマンホール(2009年9月27日)の記事
マンホールの蓋(2010年7月16日)の記事

コメント (2)
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南足柄紅葉ウォークング

2012年02月06日 05時40分53秒 | マンホールのふた
最乗寺の最寄りバス停の道了尊で乗客を待つバスを横目に車道とハイキング道の「天狗の小径」と名付けられた杉並木を下る。
杉並木は樹齢450年以上のものから600年を数えるものが主流で、なかなかに素敵です。これが梅雨の季節ともなれば、車道両脇には10000株のあじさいが連なってるのだ。っといってもここ数年あじさいの花数は寂しくなってるらしい。
んなことはどうだっていい。道了尊のバス停からバス停一つ分を下った所でハイキングコースが登場する。これが「丸太の森」行き。
いそいそとハイキングコースに入って後悔。

ハイキングコースは険しかった。上の画像を写した時はまだ余裕があったけど、この後厳し~い道へと変わります。べつにこのハイキングコースを通らなくても丸太の森には行けるんだよ~。ただここがショートカットのコースだったんだもん…。

さて、最乗寺の道了尊バス停を出発したのが10時46分。ハイキングコースで奮闘のかいあって、南足柄市森林公園丸太の森に到着したのは11時15分。取り合えず疲れた。
丸太の森の入場料を400円支払う。
「今、見頃の紅葉の場所を公園案内図に書き込んで下さい」といつものお願いを。
チケット売り場のおじさんは親切だった。ついでに「昭和展を郷土資料館でやってます」と案内された。
これが結構楽しかった。

画像はこれしか撮影してないんだけど(疲れ具合がわかるなあ~)。
興味深かったのが日本全国金太郎人形展示です。
金太郎は足柄山にいたんだね。だから南足柄市としても注目アイテムな訳だ。んでクイズがいくつかありました。
どうして金太郎の身体は赤いの?
答え:赤は昔から魔を追い払う力があると信じられていました。金太郎の身体が赤いのは、病魔から身を守るためのものなのです。
また「お父さんが赤竜だから」とか。「お乳のかわりに酒を吞んで育ったから」などともいわれています。
どうして金太郎はオカッパ頭なの?
答え:河童の髪型に似ているのでオカッパ頭といいます。
雷神の異称「水神」が落ちぶれると「河童」になるといわれています。「赤竜」=「雷神」の子である金太郎がオカッパ頭なのはこうした理由からかもしれません。
また「相撲」の起源は、水神に供養する為の舞い、すまい(相舞)といわれ、古くは神事でした。
へえへえへえ~~。
あ。郷土資料館は入場料と別料金になります。

丸太の森には古民家・明治の小学校もあります。

ここ、ドラマやCM・映画の撮影にもいいかも~。
あ。中も見学出来ます。

いいでしょう?
 
足踏みオルガンなんか、今の子どもら知らないよね~?私はかろうじて小学校の音楽室に残ってた世代です。踏み踏みしつつ授業を受けました。
古い小学校を見学した所でいい頃合いになりました。
お昼の時間です。
あれ?いつものアンパンじゃないの?と思われた方もいますよね。私だってたまには作るんですよ。この時は朝が早かったから、前日渋谷で能楽を見た後すぐに帰宅して、夕飯を作るついでにサンドウィッチを作ったのだ。画像で分かる通り、いい具合に紅葉中。

丸太の森は山を利用して作ってあるので、園内は山有り谷有りです。しかも傾斜角は結構急なのね。
早まったか?と後悔しつつ足柄山野草園を抜けると、チケット売り場のおじさん一押しの紅葉の広場に到着。
しか~しっ!!
紅葉広場といいつつ実は広場ではありません。山の傾斜をそのままに利用した坂にモミジの木が植えてあるのだ。
それはこちらの記事でご確認下さい。
南足柄の紅葉(2011年12月5日)の記事
なぜが忍者がいた!侍もいた!でも忍者の髪が金髪で、侍の髪は銀色だった!!
コスプレイヤーの方々が楽しく撮影会を催しておりました。
…なんのコスだろう?作品名がわからん。無念だ。
チケット売り場のおじさんおすすめの紅葉ポイントは川の側。キャンプ場やターザンロープのアスレチック場でしたが、無理っ!!もう尾根を下ってもっぺん登る気力が残ってない。丸太の森の見所はまだまだありましたが、気力が遂にエンプティー。
帰ろう…。
欲張っちゃいけないんだよ。
だって、ここから大雄山駅までまだウォーキングしないとならないんだから。
しっぽを巻いて退散。
でもついでだから帰りは別の道。この近くにきらめく里山があるハズなんだよね。
が!
事前に調べたんですが、今一場所がわからない。
うろうろしてたらみかん畑を見つけました。農家の人がみかんを売っていたので道を尋ねて山を下ります。
撮影時間13時42分。
こちらは民家です。なんかざる菊の植わってる場所が大雄山線沿いにいくつか点在してて、ここもその一つ。私が訪問したのは11月27日ですが、ほんの1週間前までざる菊まつりをやっていた様子。
てくてくと道なりに降りてくと、最乗寺の墓地に到着しました。
萬霊塔
時代をおびた墓石。いわれもあったんだけど、撮影し忘れちゃいました。まずい~~。分からない~~。

大雄山駅からバスで10分の乗車時間だった杉の参道。そこまで戻ってきました。
ここは仁王門。門を過ぎたら3キロの杉並木の上り坂の参道の始まりです。昔の人は健脚ですが、仁王門の手前にはかつての門前町。道の両側に旅館だった建物が並んでいます。今でもいつくかは営業中のようです。
大雄山駅に向かって道を下っていると、神社がありました。
南足柄神社(飯沢八幡社)です。
立て看板発見。「室町時代の1394年(応永元年)に大雄山最乗寺が創立された時に毎日のこと足柄明神と飯沢八幡の二人の神が手伝いに来たといわれています。もちろんこの話は伝説に過ぎませんが、それでも最乗寺の山主様が代わられた時には必ず八幡社に参詣して挨拶する事になっています。昔から境内には多くの五輪の塔がありましたが、今は崩れて下の畑に積まれています。しかしこれらの塔は鎌倉時代から室町時代にかけてのもので、石造物としても文化財の価値の高いものです。
この五輪の塔の細やかな形の移り変わりを一目で知る事が出来ます。この五輪の塔は、昔は武士階級でないと造る事が出来ませんでしたから古くから八幡社を管理していた豪族がいたと考えてよいでしょう。
「新編相模風土記稿」には磯崎左京太夫という人から12代目の惣左衛門という人が管理者であるとなっていますが、或はこれらの家のものかも知れません。祭神は八幡・神明・白山などの神々様で江戸時代の例祭は八月でしたが、今は四月の桜の花の満開の頃で最近まで神楽殿で神楽や歌舞伎などが行われていました。明治になって市内の神様を合祀して南足柄神社と呼ばれ現在に至っております」
へえ~。五輪の塔がたくさんあったのか~?で。今は下の畑に積まれてるのか?
…見てみたい。
探してみましたが、そもそも畑がない。つーか、家ばっかりだったので諦めました。現存してるんだろうか?

道を下ってると、南足柄市のマンホールを見つけた。やっぱ絵柄は金太郎なのね。
大雄山駅に到着したのは14時半を過ぎてました。
大雄山駅周辺で、もしやないかとご当地土産の<金太郎牛乳>を探したんですが、ありませんでした。残念です。
あ~れ~??
南足柄市のアンテナショップってどこにあるんだろうなあ~?
そして大雄山線に乗車。朝みた富士山は帰りもまだ見えてました。
小田原駅に到着したら15時。早めに撤収しないと。秋の夕暮れはつるべ落とし。つーかもう疲れ果てたよ…。   人気ブログランキングへ
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東大のレトロな建物

2012年01月03日 06時21分37秒 | マンホールのふた
本郷の東京大学はレトロな建物がいくつもある。正門から安田講堂、法文2号館と進んで文学部3号館へ。ってか、これ上がビルになってたのか~。単なる通路だと思ってました。
たぶんトップは図書館だと思うんだけどね。や、メモしてなかったからね。三四郎池に沿って移動してます。


あ、マンホール発見!どんなふたかな~?
 
おおっ!東京帝国大学の文字がっ!!大学の構内のマンホールも楽しいなあ。以前うちの近所の相模女子大へ行ったら、陸軍時代のマンホールのふたがあったりしたし。旧陸軍通信学校将校集会所(2011年5月17日9の記事 マンホールの蓋を確認出来ます。
宇宙研究所のJAXA相模原キャンパスに行ったら、JAXA仕様だったし。夢とロマンが詰まった部屋(2011年8月26日)の記事JAXA相模原のマンホールと共に、面白いペイントの飲み物自動販売機の画像を確認出来ます。
大学ってあんまり立ち入らない場所ですが、それぞれにマンホールのふたがあるんですかね?どうだろう~?文化祭や見学で中に入ったら…チェックする必要ありか?
これは…正門入って左右にあった建物のどっちか~か?多分法文1号館じゃないかと?どっちにしても、白金台の東大医化学研究所の建物と同じ。入り口の三角屋根も同じでしょ?
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掃雲台がないっ!

2011年11月15日 05時21分18秒 | マンホールのふた
大久寺を出て国道1号線を西へ。
東海道新幹線の高架下をくぐった所でストップ!道路が二俣に分かれてます。え~と?地図によると、ここで1号線を逸れて細い方へ行ったほうがよいのだな…。
細い道と侮ってはいけないっ!実はかつての旧東海道なのです。
感動したいところですが、私、も、疲れています。
普段なら、説明板を発見すると取りあえず読んでみるのですが、もうそんな元気は残っていない。
先だっ!先へ進むんだっ!!
トップ画像を撮影したのは午後1時過ぎ。一日で一番暑い時刻です。
ううっ。焦げる~。
とかノロノロ、トロトロ歩いていると、あれ?
この辺りに「掃雲台入り口跡」があるハズなんだけど~?
あ~れ~~??

掃雲台は、三井財閥を支えた実業家にして、世界初の総合商社三井物産の設立にかかわり、日本経済新聞の前身である中外物価新報を壮観した益田孝が箱根板橋に作った別邸です。
益田孝は茶人として有名で、小田原箱根には近代の茶人が集まりました。掃雲台では数多くの茶席をたてたそうです。
ちなみに、茶人としての益田孝の名前は、鈍翁。先ほど拝見した小田原文学館のある西海子小路に「鈍翁in西海子」があり、茶器やゆかりの品々を展示しています。
掃雲台は南向き斜面の広大な邸宅跡は、健在は分譲され、正門があった付近は道路となっています。
って小田原市の観光協会から送ってもらった「ドラマの主人公たちと小田原」のパンフレットに書いてあるんですけど。う~ん。名残も残ってないのかなあ~。
あれ~~~??

掃雲台入り口を探しながら道なりに進んでいると、なんだか素敵なレトロ建築がありました。朝倉邸です。
またこんなレトロな豆腐屋さんもあった!

あれ~?このお店って確か…。
街かど博物館ガイドマップに載っていたような~??
あ。そうだ!とうふ工房(下田とうふ店)です。
ガイドマップによりますと「関東大震災後に建てられた出桁造りの建物が、独特の雰囲気を醸し出しています。店内には、おかもちを担いだ行商姿の写真など、店の歴史をパネルで紹介しています」だそうです。
でも本日は日曜日。定休日でした!残念。

あ。カラーマンホール発見。疲れてくると、視線が下に落ちるんだよねえ。
カラーマンホールは散歩の後半に見つける事が多いんですよ。
道をそれて北の坂道へ。
緩い坂をゆるゆる上っていくと、ありました!

やった~。あった~。古稀庵だ~…。

東京ガスからガスの使用量お知らせという名前の領収書がやってきた!
ふんふん「11月分は10月14日から11月11日まででご使用量30立方メートルで請求額は5172円です」とのこと。
あれ??ガス代が5000円越えですと??電気代が震災以後の節電効果で5000円ちょっとなのに、ガス代が5000円ってマジかっ!!
…おたくの街のガス屋さんに比べて東京ガスのガス代ってどうなの?水道代は水源に何を使ってるかで日本全国の市町村のバラつきが凄いのは知ってますけど、ガスってそもそも原料って輸入だよね?それで全国のガス屋でバラつきがないの前提だよな?違うのか??
一応念のため、過去のガス代を調べてみる。月間のガスの使用量は、平成22年6月が30立法メートルで4767円。んん~??同じ使用量なのに、去年は5000円を切ってるっ!!5172÷4767=108パーセント!って!!これっ!1年で8パーセントもガス料金が上がってるってこと??なんでやねんっ!今って史上一番の円高じゃないんかいっ!なんでガス代が去年比108パーセントなんじゃっ!!
念の為更に遡ってみる。
平成21年11月は30立方メートルで4593円。
平成18年6月は30立方メートルで4626円。
平成16年5月は30立方メートルで4548円。
平成10年11月は30立方メートルで4599円。
ってことは、これ、今年急激に値上がりしてるんですね。な、なんでだろうなあ~?東京電力のニュースは見るけど、東京ガスのニュースを見た記憶ないんですけど。って、これって東京電力だけ?理由はなんだ??みなさん、気になってませんか~??  人気ブログランキングへ
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川越で見かけた萌え

2011年07月17日 04時20分52秒 | マンホールのふた
あれ?昨日で川越の記事終りじゃなかったの!?と思いました?
そうしたかったんだけどね。散歩の途中で見かけたものの中に、どうしても記事の内容にそぐわないあれこれがあってね。ポイするにはアレで。ならもう全部まとめて記事にしちゃえ!とヤケクソです。ちなみに今日の記事はカテゴリー分けも悩みました!でもって結局「犬&狛犬シリーズ」です。このカテゴリーで生きた犬を紹介したことないんですけど。初生きてる犬です!
スターはこれ。
なんか、このワンちゃんを抱いて願いを心の中でお願いすると願いが叶うんですって!たまたま立寄ったのですが大人気で。お客さんが撮影順待ちしてました。場所は大正浪漫夢通りです。
さて、お次はここ。

同じく大正浪漫夢通りで見かけました。川越ご当地サイダーです。
そんでこれ。
時々撮影してるんだけど、一味違う自動販売機です。以前に紹介した一味違う自動販売機にはヤクルトスワローズとか汐留散策(2009年11月18日)の記事。小田原のとか何コレ!ういろう博物館(2010年7月8日)の記事。自販機も個性あるのが楽しい。
次はこれ。
 
いつものカラーマンホール。
いつものことですが、カラーマンホールはお散歩に疲れた頃見つけます。なぜなら疲れてくると視線が地面に落としがちだから。んで、疲れてると画像を撮影する気力もなくて、せっかくカラーマンホールを見つけても時折画像を取り損ねて帰宅後公開することもままあります。ええ。立川のカラーマンホール!見つけたのに、昭和記念公園を歩いた後は大概気力体力がエンプティでいまだ撮影出来てません。
ってなことで、川越散歩。なんと!!1ヶ月近くも連載しちゃいました…。日帰りプチ旅行だったのに…。そ、そんだけ見所盛沢山の街なんですよ。川越は。みなさんもおでかけしてみませんか?素敵な街ですよ。
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旧陸軍通信学校将校集会所

2011年05月07日 04時34分34秒 | マンホールのふた
しだれ桜があるのは相模女子大学正門入ってすぐ右手。そこの庭園が個性的だった訳が判明しました。

『相模原市登録有形文化財「旧陸軍通信学校将校集会所(相模女子大学第一本部棟)」
相模原市登録名勝「旧陸軍通信学校将校集会所庭園(相模女子大学フランス庭園)」
旧陸軍通信学校が当時の大野村に移転してきたのは昭和13年から14年にかけてです。
将校集会所の外壁は改装されていますが、外観は全体として当時の姿を良く残しています。
庭園は集会所に付設された庭園で、現存する洋風庭園として貴重であり、当時の優れた施工技術を知ることができます。
注 室内は、原則として見学できません。
登録年月日 平成15年4月1日 相模原市教育委員会』

室内には入れないんだけど、玄関外から見るとこんな感じ。



正門の受付でビジターカードを返却し、書類の退校時間を記入しておしまい。
ふと。
正門の受付にちらしが置いてありました。
あれ?

右:陸軍のマンホールの蓋
陸軍通信学校からのもので、中央に陸軍の星マークが残っている。

左:防空壕跡(旧防空壕)
現状ではコンクリートで閉じられた防空壕がある。当時の面影が残っている。
以上、相模原女子大学を歩こう!のチラシより。

女子大の桜散歩は今日でおしまい。明日から井の頭公園&小金井公園散歩へ。うっかり「江戸東京たてもの園」が素敵で長い連載となってしまった…。

竹里館出版局は大阪COMIC.CITYに参加します。
開催日時:2011年5月8日(10:30-15:00)
イベント場所:インテックス大阪
サークル名:竹里館出版局(ちくりかん)
スペース配置:2号館E-4b
去年8月に発行した私、あられの『旅順』の写真集も搬入します。ってゆーか、てっきり送ってあると思ったらぶめちゃんに在庫を送ってなかったのね。
当日、スペースにはぶめちゃんこと梅原沙実さんが売り子として入ってます。(私、あられは神奈川でお留守番)
3日のSUPER.C.CITY東京で発行した『ひこにゃん絵本』が大阪初売りです。
よろしくお願いします。

昨日の午後、突然マンションの下で工事が始まり、夜にも工事は続き、日をまたいで今も工事は継続中です。
ええ。また…。夜間工事。
今朝、資源ゴミを出しに行った時、丁度関係者が話し合いをしてまして、内容を漏れ聞くに「漏水してる場所がわからない」ようで、掘っては埋め戻しを繰り返して工事が長引いてるようです。
「あっちだと思うんだ。あそこは少し前まで広場だったから…」た、頼りない~。
え~と?それってうちのマンションの建ってる場所だよね。ここってマンションが建ってからもうかれこれ15年程。………。漏水現場が見つかるまでだいぶ時間がかかりそう…。埋め戻す前にアスファルト剥がしたら?今夜が来る前に工事が終るといいなあ…。
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武蔵国府跡

2011年04月22日 04時15分12秒 | マンホールのふた
大国魂神社の隣に武蔵国府跡はある。トップ画像がそれだ。実は本当の国府はこんなもんじゃない。
大きかったのです。
こんな感じで。
「武蔵国府は、奈良時代の初めの頃から平安時代の中頃(今から約1300年ー1000年前)にかけて、武蔵国を治めた役所(武蔵国庁・国衙など)が置かれた。古代武蔵の国の政治・行政・文化・経済の中心でした。」だそうです。え~と?少し説明が必要か…。
国庁とは…「国司」という都から来た役人が儀式や政治を行う中心的な役割を担った役所の中枢施設のこと。
国衙とは…国庁の周囲に設けられた国の行政事務を行っていた役所群のこと。(現代でいえば、東京都庁の本庁舎全体にあたる)
国府とは…国庁、国衙を含めた役所に勤務していた役人の館や、兵士等の宿舎、市(いち)、学校、百姓(ひゃくせい)の民家などを含む範囲全体のことをいいます。(現代でいえば、東京都庁とその周辺の新宿副都心の範囲)

古代における武蔵の国は今の東京都と神奈川県と埼玉県の一部を含んでいたんですね。広い範囲の政治をここでやっていたんですね。ところで役人がやってた儀式も一つ紹介。

トップ画像奥の建物の中に、発掘の様子の説明がありました。

府中市は自分の土地の歴史を大切にしてるように感じます。

武蔵国府跡を訪れた後、次の目的地へ。
 途中でいつものマンホールを撮影。マンホールの蓋って、自治体が変るとデザインも変ります。今までにもあちこちで撮影しました。いいかげん「マンホール」カテゴリーを作りたいところですが、さすがにカテゴリーの数が増え過ぎてて未だ独立してません。
さて、目的地に到着です。

ニュースで外来の麻疹が流行中って言ってます。
え~と??まさか…。先々週江川せせらぎ緑道へお花見散歩へ出かけた後、背中から腰にかけて発疹がびっしり出てしまい…。体調が崩れたんですけど。まさかな…。麻疹じゃないよね??…気づかずにウロウロしちゃったじゃないかっ!!麻疹って確か伝染病だったよね。マズいじゃないのっ!!
でもでも。麻疹って、一度かかると二度とかからないんじゃなかったっけ??違ったか??調べたけどわからない~。つーか、今流行ってるのって外来性の麻疹なんだって。それって、日本の麻疹と違うのか?どなたかご存知ありません?麻疹じゃないことを祈る。だって、もし自分が菌をバラまいてたら大変だもの。

昨日、今年の桜散歩をフォトチャンネルに登録しました。よかったら見てやって下さい。
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海が見たい

2011年02月06日 04時59分45秒 | マンホールのふた
二宮駅で「ガラスのうさぎ像」を見た後、なんとなく海が見たくなった。吾妻山公園から見えた海がとても綺麗だったので、波打ち際から見る太平洋もさぞかし綺麗だろうと思ったのだ。
トップ画像は国道1号線。
二宮駅から南へ約100メートル程。
見た目は幅もそうない道。これがあの有名な国道1号線なの??
あ。あの有名なはお正月の箱根駅伝のにかかります。でも見て下さい。道路行き先表示板を。
左へ「東名」右へ「湘南バイパス」
へ…。さすがに有名な国道1号線。メジャーです。
さて、1号線を越えて更に南へ海を目指す。
と!!
な、なんてこったあ~~!!
このまま海に出れると思ったのに…。がっくり…。



突き当りにあったのは「湘南バイパス」だったのです。
しかも、海に出れる横断歩道が左右を見ても視界にないっ!!そ…、そんなあ~。ここまで来て!!
がっくりと来た道を引き返す。
がっくりと足元へ視線を落としていたら、見つけちゃいました。
/カラーマンホール。
カラーマンホールファンの為に所在を記しておきますと、JR二宮町駅の南口です。ロータリーの周囲にいくつかありました。

先日体調が突然いまいちになってしまい、ストレスからかつい食べに走ってしまいました…。
アホかっ!!
体重増加確実っ!!
や。
それよりもっ!!
今朝起きたら、なんか胸あたりが痛かったので服をめくってみたらですねっ。胸の谷間に吹き出物が出来てました…。
昨日お風呂入ったときにはなかったハズ…。
どうにも痛くて動きが制限されるので、絆創膏を貼って対応しました。
も、情けな~。
…やっぱ突然の爆喰いが原因なのかっ!!チョコ?飴??それともシーフードスパゲティがっ!!
色々原因に心当たりあり過ぎです…。
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丸亀城最短コースで天守へ

2010年11月22日 04時54分15秒 | マンホールのふた
お城には坂道が大概ありますが、丸亀城の坂道はどこかおかしい。
観光案内所から東へ一直線へ伸びる坂道。ここは大概急です。なんとかかんとか上り切るとそこが見返り坂。
見返り坂。
ここは三の丸北側の石垣が見えます。丸亀城の石垣のなかで最も高く、22メートルの石垣が聳えてます。

石垣があまりに高くて、上段の石垣は見えません。ここから本丸まで三段の高さは40メートルに近いこの城壁は丸亀城を「石の城」と形容される由縁です。

さて、そこから先はさらに勾配のある坂道が。なんとか止んでる雨ですが、足元は濡れてます。
あまりに急で視線は常に足元にあります。
と、いつものマンホール発見。丸亀市名産うちわがモチーフ。おなじみ丸に金のマークがある金比羅さんのうちわもあったりして。
一気の登れない坂道で、左に目をやると、真新しい修理後の残る石垣を発見。

滑ると怖い坂道をおそるおそる上がると、そこが二の丸。といっても維新後に城内は火災に会い、その上城の櫓はすべて取り壊されてて何も残ってません。ただ伝説のある二の丸井戸が残るのみ。讃岐の子はほぼ知ってる伝説なのですが…。
『羽坂重三郎は常に仕事をする時は裸になって一生懸命働くことから「裸重三」と呼ばれ、丸亀城の石垣を完成させた功労者です。
殿様は「さすがは重三の築いた石垣だけあって完璧だ。これでは空飛ぶ鳥以外にこの城壁を乗り越えるものはあるまい」とご満悦でした。
ところが、重三郎は「私に尺余りの鉄棒を下されば、容易に登ることができます」と言って、鉄棒を使いすいすいと城壁を登ってしまいました。
殿様は、重三郎を生かしておけば来敵に通じた場合、恐ろしいことになると考え、城内の井戸の底を重三郎に探らせて、その隙に石を投じて殺してしまいました。この伝説の井戸が二の丸井戸です。』
これが石垣にまつわる悲しい伝説です。
 
丸亀城の最短コースを辿って頂上を目指します。と。あっという間に到着です。

はっきり言って、味もそっけもない道です。しかも急なだけであっちゅー間に天守に到着というのは城としておかしいと思う…。実はそこに丸亀城の歴史がかかわってくるのです。
丸亀城を築城した当時、大手門は現在の大手門とは違う場所にありました。
かつての丸亀城は南側にあったのです。だから丸亀城の石垣を本当に堪能したければ、こちらから登らないとダメなのですよ。ってなことで丸亀城の石垣については、後日記事にします。明日は天守について。
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寒川神社再訪

2010年10月31日 04時55分05秒 | マンホールのふた
里山公園は約1キロの上り坂を上り切った所にビジターセンターがあります。そこの前でお昼ご飯。
さて、もうお家に帰りたい…。
ビジターセンターでまともなお散歩地図をゲット!それによると、5キロ位歩くとJR相模線の駅に着くみたい。
今上って来た道と沿うようにある昔道を下る…。迷子になる。なぜに、昔道ってくねくねしてるんですかね?

でも道を間違ったおかげで昔風景の稲田を眺めつつ。道を迷いつつなんとかお散歩地図にある道に復帰。

疲れて来ると足元に目を落しがちですね。茅ヶ崎市のマンホール発見です。

お散歩道のゴール近くに寒川神社があります。ダンナの希望で寄道。

ここへ来たのはいつかの初詣以来。寒川神社2009年1月16日の記事参照。正月の寒川神社にはねぶたがあります。
やっぱ、神社はお正月に来るといいいですね。色々飾り付けされてて。9月の神社はなんとなく物足りない。

夏の名残のあさがおの鉢が社務所前に残ってます。

珍しい感じのお守り発見。

寒川神社の紋って巴紋なのですね。

いつものように狛犬チェックして神社を後に。
お散歩は相模線の宮入駅で終了です。え~と?10キロ位のお散歩でした。左足が動かない…。これだけ歩くと脳梗塞で左が麻痺してたんだって思いだすなあ…。気をつけよう…。

ここ数日の記事は予約投稿でした。木曜から法事で田舎へ戻ってました。
んで、記事のおかしな場所を修正しました。
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フルーツ・ツリー

2010年09月25日 05時17分18秒 | マンホールのふた
トップ画像は臨港パークにあるフルーツ・ツリーです。2002年日韓ワールドカップの共催記念で出来たもの。
テレビ東京の番組で知って一辺見てみたい~と思ってたものの、機会がなくて~。横浜美術館のついでに足を伸ばしてみました。
でもまさか目的地への道のりが、炎天下だなんて…。パシフィコ横浜辺りで既にヘバってしまう始末。

上の画像は「リマちゃんと握手」という作品。リマちゃんの視線の先は海!


海を見ながらお昼。
炎天下でしたが、海が見たかったんです。でも大概限界。そそくさと海岸を立ち去ることに。
行きと帰りのルートを変えました!

こんなんありました!歩き続けると、ベロタクシーも!

人影ありませんが、ベロタクシーの後ろの建物が地下鉄みなとみらい線の「みなとみらい」駅の乗場があります。
と~こ~ろ~で~。
桜木町を訪問したら行きたい所をピックアップしていたのですが…。猛暑の夏の太陽様は強力で、早々と敗北宣言。もう撤収~。
 
アンパンマンミュージアムとキャプテン翼スタジアムはぜひ行ってみたかったんですけど。
後ね~、掃部山公園で井伊直弼の像を見て、ニッサン本社で展示されてる車を見たかったんですけどまた今度。

早々に横浜を引き揚げたのですが、思った以上にダメージがあったのか、帰宅後まもなく鼻血を吹いて病院へ向かうハメに…。なんて恐ろしい夏の太陽様。

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マンホールの蓋

2010年07月16日 04時46分44秒 | マンホールのふた
本日も竹里館のホームページの「竹里館写真館」に、先週旅した中国遼寧省の大連・旅順の旅の写真を掲載しました今日のテーマは日露戦争。
よろしく~

マンホールの蓋って市町村で違ってて、個性溢れてるんだよねえ~。
以前にも何度か紹介してますが、またネタが溜まってきたのでまとめて紹介します。
過去に紹介したカラーマンホールはこちら。4つの記事をまとめてみました。
神社のお参りの作法2010年3月19日&藤沢七福神5・6番目&藤沢七福神2つめ&ど~こだ?2010年1月15日&カラーマンホール2009年9月27日の記事。

トップ画像は厚木市で採取。
続きまして、大和市で採取。
調布市で採取した2つを続けて。
 
続いて東京都東村山市で採取。このモチーフは何でしょうね?
 
千葉県松戸市で採取。矢切の渡しですね
川崎市で採取。
中国で風邪ひいて帰国して、だいぶ回復したので朝一で血圧測ったら、上が185で下は114…。って。
ええええ
凹む凹む…。や、なんかカフを巻いてる時に痛いなあ~?と思って数値見たら220まで上がってたからやな予感したんだけどね。つーか、素肌に直接カフを巻く夏、二の腕に赤い縦線が何本もってどうよ?血圧高いと思い切り閉めるので痛いんですよねっ。
今日は大人しくしてよう…。
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藤沢七福神5・6番目

2010年03月16日 06時11分58秒 | マンホールのふた
さて、遊行寺&小栗判官と寄道続きでしたが、藤沢七福神めぐりへ戻ります。
実は遊行寺への道すがら軽く登りだったんですが、この辺りは昔ながらの里山っぽい雰囲気が残ってます。
お墓はメジロの社交場と化してました。
…この辺りで気づけよ自分…。
実はですね、私花粉症患者なのですね。
ハンノキ類の。去年アレルギー科で血液検査をして判明したのですが。
こいつってぱ、1月下旬から3月一杯まで花粉を飛ばしやがるんですよ。
で、2月に入って関東では数回雪が降ったので忘れがちですが、今年の1月は暖かかったんですよ。
っで、ハンノキ類っていわゆる雑木林にある木なんですよ。
…お散歩途中から、鼻水とくしゃみが止まらなくなりました!
きゃい~~~ん
でも、お散歩してる時はそれが、花粉症の症状だと気づかず…。何かヘンだな?と。
さて。
藤沢七福神の続きですね。
5つめは「諏訪神社」です。
トップ画像が諏訪神社です。

スタンプを押して続いて6つめへ。
「感応院」

ここは真言宗のお寺なので、石像は空海です。

お参りしてスタンプ押して終了。
と、ここまではYAHOO!の地図をたよりに歩いて来たのですが、ここから藤沢駅へはどの道が最短コース??
迷ってたら遊行寺橋へ出ました。

分かりにくいですが、中央奥に見える大きな屋根が遊行寺です。だいたい広重の東海道53次の図柄はこの辺りから見た図です。
と、取りあえず分かる場所へ出たので、藤沢駅へ向う。
途中でカラーマンホール発見!これ、藤沢だから「藤」の図柄ですね。
ここでやめておけばいいのに、うっかり万歩計を見てしまいました…。
まさかの2万歩超え!
見るんじゃなかったあぁぁ~。


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