あられの日記

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「坂の上の雲」秋山真之終焉の地

2011年11月10日 05時25分23秒 | 箱根・小田原周辺
小田原文学館を出たのは11時30分を回ってました。ハイ、私ここに1時間半もいたんです。どんだけ気に入ったんじゃ~~。
あ。そうだ!レトロ建築巡りのポイントの一つにトイレチェックがあります。
レトロ建築公開といっても、外観のみ公開してることが多い。
内部公開の場合、トイレなどの水回りは使用禁止の場所も多い。中にはトイレはかつての場所に。でも今使えるのは別に増築してます。みたいなのもあります。でもまれ~に、かつてトイレがあった場所を改修して現在の水洗便所を作りました!というのがあるんです。これ、要チェック!なんですよ。配管の場所はかつてのままなので、近くにバスルームや台所がある場合もあったりして…。わかりやすいチェック方法は、大便用の空間の狭さです。日本人は最近大きくなりましたからね。明治時代の人は栄養状態が悪かったのか、あんまり体格のいい人少ないので、トイレ空間が小さいんですよ。これ、私的におすすめです。この小田原文学館を訪れたら、ぜひトイレに寄ってみて下さい。結構感動ものです。

さて、西海子小路を西へ。100メートルほどいくと、「静山荘」があります。
説明板発見。
「静山荘は、明治25年に建築された民家を長年財界で活躍した望月軍四郎(1879-1940)が昭和14年に上府中村から現在地に移築した別荘です。
この建物は日本農家を別荘にした珍しい建物で、書院作りの屋敷と、民家風の広間が良く調和しており、材料的にも技術的にも高い価値があります。屋根は日本瓦葺きで、落ち着きと優雅さを見せています。棟瓦についている九翟の紋は、所有者である望月家の家紋です。欅材の大梁、柱、神棚は大きく、太く、がっしりとしていて重量感があり、手入れが非常に行き届き、欄間は概ね建築時の組子欄間で細工が見事です。
庭は、小田原では珍しい苔庭で、広く味わいの深いものになっています。手入れの行き届いた老樹、石灯籠、九重の石塔は落ち着いた雰囲気を醸し、重厚な建物の奥行きを引き立てており、外の世界を遮断した一つの独立した空間を醸し出しています。
望月軍四郎(実業家)
明治12年静岡県に生まれる。明治26年に上京し、明治43年には望月証券株式会社を開設した。大正7年に業界を代表して米国に派遣さて、ニューヨークの株式会社を実情ちょうさして帰国した。教育界にも関心を示し、大正8年成城学園に中国人留学生の寄宿舎建設費を寄付したのを始め、大学や学術研究機関に多額の寄付を継続した。大正13年には田口銀行頭取に就任し、以後、帝国商業銀行専務、日清生命保険社長を歴任した。昭和5年には京浜、湘南鉄道の取締役会長となり、京浜電鉄と連帯運輸を開始し、昭和8年には京浜線の品川駅乗り入れを実現し、品川、浦賀間を結ぶ京浜急行の基礎を築いた。昭和15年死去。享年61歳」
な~るほど!そんなに立派な人が落ち着いた日本家屋の静山荘に暮らしていたのか~。でも心から残念なのですが、現在非公開なんですよ。未だこちらで暮らしてる方がいらっしゃるんですかねえ~。

静山荘そばの小道を北へ。
この辺りに三好達治の旧居址があるハズなんですが…。
ありました。これです。
でも、面影は全くありません。
すぐに国道1号線に着きました。毎年正月に箱根駅伝をやってる場所です。たしか、たすきリレーをしてるチェックポイントもこのあたりなんだよね。

さ~て!
お次は、一番行きたかった場所です。
MHKのドラマ「坂の上の雲」(原作:司馬遼太郎)の主人公、もっくん演じる秋山真之(1868-1918)の終焉の地です。

でもねえ~。実存してないんだよね。

この玄関へ続く石組みは名残ですかねえ?…わかりません。

道路から見ると、少し小高くなっていて、樹が見える辺りに秋山真之が没した「山下亀三郎の旧邸」がありました。もしかしtsら、上の画像の下部の石組みはかつての名残やもしれない…。
山下亀三郎(1867-1944)は、山下汽船(現商船三井)の創業者で、秋山真之とは郷里が同じ伊予(愛媛県)で友人です。

上の画像にあるように、秋山真之は、こちら山下亀三郎の別邸である対潮閣から箱根板橋にある山形有朋の別邸「古稀庵」を散歩を兼ねて訪ね、国防論について議論を交わしていたんですって。
対潮閣は山下亀三郎がこの地の別荘を譲り受け、山県有朋に庭園づくりを依頼、「対潮閣」の名前も山県有朋が名付けたんだそうですよ。

wikiによりますと、秋山真之の死因は盲腸。相模灘の朝日をのぞみながら亡くなったそうです。
腹膜炎ですかねえ~。今では盲腸といえば、日帰り手術なんじゃないの?でも彼が死亡した1918年(大正7)2月4日未明…。その時代には命に関わる病気だったんですね。JIN先生に盲腸の手術してもらった西郷隆盛…という具合にはいかなかったんですね。ドラマでは第2部で秋山真之は日露戦争の始まる直前に若いお嬢さんを嫁にもらってましたが、え~と、日露戦争は1906年頃のことだから、結婚生活は10年ちょっとしか続かなかったのね。
とか、ついついおばちゃんは計算しちゃったよ~。
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