レイジンソウは蕾が小さく、開花はまだ先のようですが、ジャコウソウは一株(3輪)だけ咲き始めていました。
薬王院のレンゲショウマの開花は、いまが最盛期でしたが、撮影は難しくなっています。と言いますのは、私は裏側から入ったので気が付きませんでしたが、入口側には「スズメバチの巣があり立入禁止」の札が下がっていました。(撮影の後に気付きごめんなさい)
京王線高尾山口駅~1号路~薬王院~3号路~高尾山頂~一丁平~小仏城山~日影林道~裏高尾~JR高尾駅
日影林道を下ると、道端にかなりツリガネニンジン(釣鐘人参)が咲いていましたが、ところどころに薄青色に混ざり白色の花がありました。裏高尾ではかなり珍しい、白い色のアキノタムラソウ(秋の田村草)を見付けました。
最後のオミナエシ(女郎花)は、道路沿いの民家の庭に、タカサゴユリ(高砂百合)は荒れた畑に群生していました。
(薄い青色の中に白いツリガネニンジン:日影林道)
もしやと思いブログを調べたら、案の定まだ載せたことがない。ハゼランは花火のイメージから名が付いたが、このままにしておいたら、庭中が長岡花火のフェニックスになってしまう。 爆蘭/スベリヒユ科/ハゼラン属。
南米原産の一年草。別名サンジカ(三時花)、サンジソウ(三時草)。
葉は多肉質で互生し、茎の先に円錐花序を出し5弁の花をまばらに付ける。
名前の由来:花の状態が線香花火を連想させることからこの名が付いた。
花期:6~9月。
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ちょうど見頃で、ソーセージのような果実がたくさん付いていました。約1ヶ月前の花とくらべて見て下さい。
大戸(バス)~青少年センター~草戸峠~梅ノ木平
~三沢峠~西山峠~中沢峠~西山峠~三沢峠~城山湖~大戸(バス停)
(ツチアケビの果実)
(2010.7.10) (1番目の群生) (2010.8.15)
(2010.7.10) (2番目の群生) (2010.8.15)
(キツネノカミソリ:青少年センター) (オトコエシ:草戸峠)
(カノツメソウ:三沢峠) (マツカゼソウ:三沢峠)
南高尾ではナガバノコウヤボウキ(長葉の高野箒)も良く見ますが、1箇所だけ花が咲いていました。画像を拡大して見て下さい。
(ナガバノコウヤボウキ:城山湖)
(小宮公園のウバユリの群生)
(ウバユリとキツネノカミソリ)
(ミズタマソウとハエドクソウ)
小宮公園と片倉城跡公園とも、自然を生かした公園なので、たくさんの植物があります。高尾山を歩くとシュロソウはよく見かけますが、花が咲いているのは、あまり見たことがありません。片倉城跡公園は咲き始めたところですので、まだ十分楽しめると思います。ガマの画像は背後の水車と入れて撮影しました。この公園は片倉城跡から西にかなり拡張していますが、この部分にもシュロソウやタマノカンアオイ(多摩の寒葵)がたくさん見られます。(片倉城跡公園のシュロソウ)
(シュロソウとコウホネ)
(コバノカモメヅル)
山地の草原に生える多年草。
茎は四角形で直立し、まばらに毛がある。葉は卵形または長卵形で直立し、縁に鋸歯がある。枝先の花穂に淡系花に淡紅色の唇形花を数段輪生する。
名前の由来:花が車のように輪生することからこの名が付いた。
花期:8~9月。
(陣馬山)
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久しぶりに先日は一日中雨でしたが、翌日の天候は曇りでした。スズサイコ(鈴柴胡)の開花も気になっていたのですが、バアソブ(婆蕎)の開花も見たかったので、こちらが優先して陣馬山に出かけました。神奈川県側の登口の一つが和田ですが、平成の大合併で藤野町から相模原市緑区に変わりました。ということで陣馬山も、相模原市と東京の境ということです。
陣馬山では目当てのバアソブを始め、各種の山野草が咲いていました。
JR藤野駅~(バス)~和田~陣馬山~一ノ尾根~陣馬街道~JR藤野駅
(ツルニンジンとの違いは花期が早く、葉の先端が丸いなどで見分ける)
山地の林の縁などに生える多年草。
葉は卵形または卵状楕円形で、裏面に毛がある。花は釣鐘型で先端は浅く5裂する。花冠の内側の上部は紫色で、下半部に濃紫色の斑点がある。
名前の由来:ソブは長野の木曽地方ではそばかすのことで、花冠内側の斑点を老婆のそばかすにみたて、この名が付いた。
花期:8~9月。
(陣馬山)
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(クルマバナ:陣馬山) (シシウド:陣馬山)
(コオニユリとキアゲハ) (クルマバナとクマバチ)
(イチヤクソウの実:一ノ尾根) (クモキリソウの葉:一ノ尾根)
(キキョウ:陣馬街道) (シロキキョウ:陣馬街道)
家を出る時に、その日は何故かスズサイコに出会うような予感がありました。探すとやはり見付かりました。これも高尾山で、スズサイコを事前に見る目を養っておかなければ、草原の中で見逃したと思います。
曇りの天候の雲間に太陽が覗くと、見る見る閉じ始めました。食虫植物ではないのですが、急激に花が閉じるからか、虫を挟みこんでいる花がいくつかありました。
(曇りから晴れに変わると急激に花は閉じる、右は左の約10分後)
8月初めに蕾だった高尾山一丁平のスズサイコの開花画像が友人から届きました。よく見ると昆虫(クモ?)が住み着いているようです。
先日、朝早く高尾山に出かけました。今回の目当てはガガイモ科のスズサイコ(鈴柴胡)を探すことと、高尾山頂のクヌギの木に集まるオオムラサキの鑑賞です。
スズサイコが生えている場所は、ブログなどの情報でほぼわかるのですが、過去2回ほど見つけることができませんでした。
今回は友人に詳しく聞いてでかけました。以前に探した場所と同じ所にありましたが、あまりにも周りに溶け込んでいたため、見つけることができなかったことがわかりました。
スズサイコは残念ながら開いてませんでしたが、これは最初の花が終わり、次の蕾の準備期間だったと思われます。
裏高尾~日影林道~一丁平~小仏城山~一丁平~高尾山頂~3号路~薬王院~3号路~一丁平~日影林道~裏高尾
(スズサイコは夕方に開き、日が昇ると閉じるので、朝早く出かけた)
(この日は開花せず) (オニルリソウ:一丁平)
日本の国蝶に指定されているオオムラサキは、樹液を吸っていましたが、同じ木にアカボシコマダラが一瞬止まりました。この蝶は奄美大島などに生息しているのですが、首都圏で見られるのは、蝶マニアによる人為的な放蝶が疑われています。綺麗な蝶ですが、コマダラと生息域が同じで、生態系の変化が心配されるのだそうです。
朝6時には小仏城山に着きましたが、ほぼ無人の山に一人だけスコップで、何かを掘っている人がいました。もし植物を掘っていたなら、これは困ったことです。
(アキノタムラソウに止まる蝶) (放蝶の疑い有るアカボシコマダラ)
久しぶりに歴史のたびですが、お付き合い下さい。
八王子を中心とする多摩の支配者は、横山党、そして江戸時代には大久保長安や韮山代官の江川太郎左衛門だったことはよく知られている。最近、「一文字に三ツ星」の長州毛利家の紋を、寺や神社で頻繁に見るようになった。
鎌倉幕府の源頼朝に招かれ、政所の別当を勤めた大江広元が、多摩を治めていたことを最近になってわかった。
今年の3月に倒壊した鶴岡八幡宮の大銀杏は、歴史に登場するのでよく知られている。二代将軍頼家の子の公暁が、大銀杏の陰から三代将軍源実朝を襲い、源氏が滅亡した場所である。その御神木の大銀杏(別名隠れ銀杏)が倒壊し、それを復活させようと試みられている。
御神木の枝で作った御守5千セットを、大銀杏再生名目で限定販売をしたら、飛ぶようにはけてしまった。今回は復活の御守の入手と大江広元の調査で、古都鎌倉に出かけた。
倒壊した大銀杏は、地上約4mの高さで切断し、7m横に移植した。いま移植した古木から枝が伸び、元の場所に残った根からは、ひこばえが芽を出し、復活に向け元気に育ち始めている。
江ノ電鎌倉駅~鶴岡八幡宮~大蔵幕府跡~法華堂~源頼朝・大江氏墓地~大江広元邸跡~大江広元墓所~鎌倉堂~鶴岡八幡宮~北条政子・源頼家墓所~源氏山~和田塚~江ノ電和田塚駅
(左は大銀杏が元気な数年前と、右は大銀杏復興中の現在の境内)
(左は地上4mで切断し移植、右は元の位置に芽生えたひこばえ)
(左は元の位置と移植した古木、右は期間限定の大銀杏再生募金)
鎌倉幕府の執権となった北条一族は、権力を握ると源氏だけでなく、次々に有力御家人を抹殺していった。多摩を巻き込んだ大きな戦いが2つあり、一つは和田の乱(和田vs北条)である。侍所の別当である和田義盛との戦いでは、多摩の横山党は和田に加勢したが、大江広元の知略で敗れ去った。広元はこの功労により横山党の領地を拝領することになった。こんなことから八王子の寺の広園寺、高乗寺や片倉城の住吉神社には、一文字三ツ星が数多く見られる。
もう一つは宝治合戦(三浦vs北条・安達)である。大江氏は子の毛利季光の時代に移り、三浦一族に加担した毛利は破れ、三浦一族と共に法華堂で自害した。
(詳しくは、毛利発祥の地を探る参照)
源頼朝の墓の近くに大江広元の墓があり、広元の両側には毛利季光と島津忠久の墓がある。いずれも江戸時代の造成と思われ、薩摩の島津家は頼朝のご落胤説があるが、近年の説明文では、頼朝の墓は江戸時代に島津家が整備したとある。手水石には島津の「丸に十字」の紋が見える。
宝治合戦で敗れた毛利氏のその後については、毛利家のふるさと佐橋庄参照。