【いざ!勝海舟のふるさとへ(2)】
きのうの朝刊各紙は、甲南女子大で保管している源氏物語「梅枝(うめがえ)の巻」が鎌倉時代の写本で、勝海舟の「勝安芳」の蔵書印があるのを、発見したことを載せていた。
さて、親切な民家のおじいさんにお礼を言い、車は杉林の道を下る。昔はみんな貧しかったので、飢饉の恩人なら囲炉裏を囲んだ一家の団らんで、父親が子供に検校のことを聞かせたのではなかろうか。
いまでは、とうに囲炉裏などなくなり、子供達は自分の部屋でテレビを見るだけ、地元の古い言い伝えなどには関心を示さない。
世間のオヤジ達は話す場がなくなり、すっかり無口になって威信も低下してしまった。
さて、棚田を過ぎると道路の傾斜が緩やかになり、道幅もかなり広くなり、向こうに集落が見えてきた。ここが2つ目の御礼塔がある大角間(おおがくま)の集落である。
この塔は今回の地震で、土砂の中に埋もれたのを掘り起し、道路脇に移し代えたという。道端の見易い所に置かれ表示もあり、車で走っていてもこの塔を見逃すことはない。
近くの看板には、「思いやりのある明るい村大角間」、そして「小さな村の大きな元気」とある。思いやりのある勝海舟の祖先のふるさとが、中越沖地震から早く立ち直り、明るい村そして元気な村を取り戻してほしいものである。
畑にソバ(蕎麦)が植えてあった。株の間から地面が見え、昔の稲作ができない痩せた畑などでよく見る光景であった。
左の塔は風化が以外に少なく、米山検校の名前が明瞭に判読できる。 このあたりからは道幅も広く、立派な舗装道路が続き、車は少しだけ長鳥方面に進む。また向こうに集落が見え、同時に赤い舟底の舟が一艘見えてくる。勝海舟の祖先のふるさとを思い起させる、咸臨丸の文字が目に飛び込んできた。(つづく)