きょうから4回にわたり、大賀ハスを取り上げる。
昭和27年(1952)にハスが最初に開花した千葉市では市の花となり、県の天然記念物に制定されている。
一方の府中市は、オオガハス(大賀蓮)を咲かせた大賀一郎博士が当時住んでいた土地で、千葉市で開花したハスが、最初に発芽した所である。
この府中市で「ハス博士大賀一郎と府中」展があり、関連講演会として「大賀一郎先生と蓮~市民の愛につつまれて~」が開催されたので、大賀ハスの真実が知りたくて参加した。
講演会の講師は、大賀博士の直接のお弟子で、中尊寺ハスの産みの親である長島時子先生である。
先日、平泉・中尊寺は残念ながら世界遺産にもれてしまったが、まず中尊寺ハスに触れよう。 昭和25年、大賀博士は「藤原三代遺物学術調査」に参加し、金色堂に安置されている「藤原泰衡の首桶」からハスの種を発見した。
大賀博士はこれを持ち帰ったが、多忙のため発芽に取り組むことができなかった。博士の没後、残された資料の中から5粒の種が見つかり、約15年ぶりに持ち主の中尊寺に返された。
中尊寺に戻された種は、しばらくの間そのままになっていたが、中尊寺から5粒の中の2粒を再度発芽研究の依頼をしてきた。ここで白羽の矢が当たったのが、大賀先生の弟子さんの長島先生である。
発芽から開花まで、5年間の苦労があったようであるが、平成十年に800年の眠りから目覚めて開花した。
ハスの実は地中では長い間眠り続けるが、地上での保管では50年位だと言われる。これは大賀博士の研究を見続けてきた長島先生の経験則で、中尊寺ハスは発芽の限界に近かったようである。
現在では中尊寺ハスは、大賀ハスとともに古代ハスの代表的なものとして良く知られ、藤原三代の中尊寺を訪れる人の目を楽しませてくれる。 次に大賀ハスであるが、昭和26年に千葉市の検見川遺跡(東京大学検見川農場)の泥炭地から3個の古代ハスの実を発掘することに成功した。
掘り始めて1ヶ月後に、3粒の奇跡の発見は、まさに博士の執念が実ったものであろう。
詳しくは、3月30日に1粒、4月6日に2粒の発見なのだが、中尊寺のハスの実の発見から1年遅れてのことである。 写真はすべて府中市健康センター修景池(しゅうけいいけ)の大賀ハスである。ここには30数種のハスが植えてあり、中尊寺ハスや博士の研究した妙蓮もある。
(次回は大賀博士の生い立ち)
大賀ハスと府中市(その2)
大賀ハスと府中市(その3)
大賀ハスと府中市(その4)
(多摩丘陵)