特に今回は勝海舟の祖先になる米山検校(晩年は男谷検校ともいう)の親族徳間佳信氏が、「評伝 銀のつえ 米山検校をさがして」という本が出版され、この本の中で調べたいことがありました。行先は米山検校が山上少年のころ、勉学に励んだ長昌山能満寺です。
勝海舟の祖先のふるさと杉平(Ⅰ)
親族が書いた評伝「米山検校」 父親は先祖が近江の山上から出た、山上徳左衛門であることは今まで知られています。「銀のつえ」では能満寺の過去帳から、母親は白井氏だというのです。能満寺を建立したのは白井長昌で、寺の山号長昌山はここからきています。
白井長昌は清和源氏につながる一族で、長岡市との境の鳥谷城主でしたが、御館の乱で上杉景虎に味方し、景虎の敗北で大角間集落から長岡市の岩田集落(昔は墓間という)に逃れました。郷土史家の平原順二氏の「越後北条毛利氏・山城の隆盛のあと」によれば、岩田の白井氏が柏崎と長岡市越路地区の白井氏の共通の祖先だというのです。
とすると勝海舟の祖先の母親は、長岡の実家近くの白井氏かも知れません。
水戸藩だけでも70万両のお金を貸したという米山検校は、ふるさとの飢饉にたくさんの米を送り救済しました。地元民は検校の行いに御礼塔を造り感謝を表しました。上の「いい里杉平マップ」で現存する3つの御礼塔を探してみて下さい。米山検校の母親探しは、岩田の白井氏ではなく、下の御礼塔があります平沢集落の白井氏ではないかと、能満寺のご住職が答えてくれました。
(後ろの山が白井氏の鳥谷城跡) (毛利家の祖先の地に建つ佐橋神社)
(柏崎市北条:2012.05.28)