この季節の牧野記念庭園は咲いている花が少ないが、1か所だけ綺麗な椿の花が咲いていた。名札にはハツカリと書かれていた。
初雁/ツバキ科/ツバキ属。
ツバキの侘助系の園芸品種。別名ショウワワビスケ(昭和侘助)、セッチュウカ(雪中花)。
葉は長楕円形で、花は淡い桃色の地にやや濃い桃色のぼかしが入る。
花期:11~3月。
(牧野記念庭園)
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ツバキの侘助系の園芸品種。別名ショウワワビスケ(昭和侘助)、セッチュウカ(雪中花)。
葉は長楕円形で、花は淡い桃色の地にやや濃い桃色のぼかしが入る。
花期:11~3月。
(牧野記念庭園)
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庭園にに植物はたくさんあるのですが、この季節に咲いている花はほとんどありません。ユキツバキ(雪椿)も蕾なのですが、見つけてほっとしました。
(ロウバイとユキワリイチゲ)
学歴のない牧野富太郎牧野が理学博士の号をとったのは、昭和2年で66歳のことです。その年の暮れ、札幌での記念講演の帰途に仙台で新種の笹を発見しました。
そして、翌昭和3年2月に博士を支えてきた妻寿衛子が55歳でこの世を去りました。博士はその新種の笹を「スエコザサ」と名付け、妻の墓へこの笹を植えました。
色紙に見られます号の「結網」は漢書にある言葉で、淵に立って魚を得たいと願うより、家に帰ってそれを獲る網を結ったほうがよいという意味なのだそうです。 (練馬区大泉学園) (つづく)
そして、翌昭和3年2月に博士を支えてきた妻寿衛子が55歳でこの世を去りました。博士はその新種の笹を「スエコザサ」と名付け、妻の墓へこの笹を植えました。
色紙に見られます号の「結網」は漢書にある言葉で、淵に立って魚を得たいと願うより、家に帰ってそれを獲る網を結ったほうがよいという意味なのだそうです。 (練馬区大泉学園) (つづく)
牧野富太郎は文久2年(1862)に高知県の造り酒屋などを営む裕福な家に生まれました。幼くして父母と死別した富太郎は、裏山で草木を友として育ったと伝わります。
19歳で上京し独学で植物学を勉強しました。22歳で東京帝国大学(現東京大学)の植物教室に出入りし、本格的な植物の研究に入りました。
西武池袋線の大泉学園にあります牧野記念庭園は、大正15年から94歳で亡くなる昭和34年まで博士が住んでいた自宅跡です。貧困に苦しみながら研究を続け、牧野富太郎博士は「日本の植物学の父」と言われています。 (練馬区大泉学園) (つづく)
19歳で上京し独学で植物学を勉強しました。22歳で東京帝国大学(現東京大学)の植物教室に出入りし、本格的な植物の研究に入りました。
西武池袋線の大泉学園にあります牧野記念庭園は、大正15年から94歳で亡くなる昭和34年まで博士が住んでいた自宅跡です。貧困に苦しみながら研究を続け、牧野富太郎博士は「日本の植物学の父」と言われています。 (練馬区大泉学園) (つづく)