池上本門寺で一足早いシャガ(射干)の花に出会いました。4月には花は咲きますが、3月の上旬は少し早いと思います。
病になった日蓮が久遠寺から常陸国へ湯治に向かう途中、池上の地まで来ましたが、ここで病没してしまいました。遺骨は遺言により久遠寺に納められました。加藤清正、家康の側室お万の方(水戸、紀伊家の藩祖の生母)、清正の子で紀伊家に嫁いだ遥林院などは、日蓮宗を深く信仰していたので、院内に多くの史跡があります。
(池上本門寺)
先日の土曜日はよく晴れた一日で、久しぶりに史跡の見学に出かけました。行き先は池上本門寺で、ここは日蓮上人縁の寺で、有名な武将では加藤清正供養塔があるところです。また長岡藩では第3代牧野忠辰公のお墓があった所でもあります。
この日の目的は、徳川家康の子供で紀州藩主になった頼宣公の生母お万の方と、頼宣公の正室で加藤清正の子の瑤林院の関係を整理するためでした。
ここで思わぬ発見がありました。普段は公開してない小堀遠州の松濤園に入ることができ、西郷隆盛と勝海舟の会見の碑を見つけました。
松濤園ではマンサク(満作)が咲いていました。 広辞苑によれば松濤とは、「松風の音を波の音にたとえていう語」とありますが、渋谷の鍋島邸にあった松濤園は地名にもなりよく知られています。有名な三田の薩摩藩邸で会談する前に、池上本門寺の松濤園で会談が持たれたのは初耳でした。 (池上本門寺)
ここで思わぬ発見がありました。普段は公開してない小堀遠州の松濤園に入ることができ、西郷隆盛と勝海舟の会見の碑を見つけました。
松濤園ではマンサク(満作)が咲いていました。 広辞苑によれば松濤とは、「松風の音を波の音にたとえていう語」とありますが、渋谷の鍋島邸にあった松濤園は地名にもなりよく知られています。有名な三田の薩摩藩邸で会談する前に、池上本門寺の松濤園で会談が持たれたのは初耳でした。 (池上本門寺)
3月に入りました。きょうは東京スカイツリーが600mを超え、世界一の高さの自立型の電波塔になりました。高尾山の高さは599mなので、これも超えたことになります。
あいにくの雨模様で、記念にすべき花がないかと探しましたら、鉢植えのコシノカンアオイ(越の寒葵)が見つかりました。 (寅太の庭)
あいにくの雨模様で、記念にすべき花がないかと探しましたら、鉢植えのコシノカンアオイ(越の寒葵)が見つかりました。 (寅太の庭)