高尾山などの「寅太の山野草」

中越地震で被災した小千谷市と長岡市にある戊辰史跡の復興を応援しています。
山野草を中心にしたブログです。

今朝の庭のシモバシラ

2011-01-31 08:01:15 | 山野草
今朝の冷え込みは厳しく、シモバシラはの形が少し変わりました。週末まで家を空けますので、ブログは休みます。


(今朝の寅太の庭のシモバシラ・・・2011.01.31)


(寅太の庭)
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新説夕焼小焼の里

2011-01-29 08:13:18 | 四季
今週は日曜から夕日が沈む時に、富士山は見えませんでしたが、きのうは綺麗に晴れていました。前回、富士山の左稜線の谷間に夕日が沈みましたが、きのう沈む位置は富士山を飛び越えた右側で、期待のダイヤモンド富士は1年後になりました。
中村雨紅の実家の隣の寺、そして寺には高貴な一品親王(いっぽんしんのう)の一文字に三ツ星紋から、ここが夕焼小焼の里ではないかと思ったのですが、1週間通うとますますその感が強くなりました。夕焼とともに無数のからすが、見渡す限りの遠方から寺の裏山目指して飛んでくるのです。写っている烏の数は、画像の最初から、13-5-2-7-9-8羽ですが、3枚目の画像で2羽がわかりますか。


(夕焼小焼、烏と一緒に帰りましょう・・・2011.01.28)

 
(夕日の沈む位置は富士山を通り越す)

 
(遠くから烏は寺の裏山に帰る)

 
(中村雨紅の夕焼小焼と同じ光景か)


(今朝の寅太の庭のシモバシラ・・・2011.01.29)

昨日のタイトルは「庭のシモバシラのいい日旅立ち」でしたが、高尾のシモバシラの記載の後で、少し誤解を招いたようです。シモバシラは寅太の庭のものでした。

 
(いつも観測しているシモバシラ)   (左部分が旅立った跡です)

(多摩丘陵と寅太の庭)
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庭のシモバシラのいい日旅立ち

2011-01-28 09:48:19 | できごと
旅立つなら大安の日が良いと思い、昨日庭の鉢植えのシモバシラを北海道に旅立たせました。これに至るまでには、いくつかの偶然がありました。高尾山のシモバシラを観賞に行くと、ほぼ決まった位置で、計器で地中の水分やシモバシラの長さをメジャーで計る青年がいたんです。先日のシモバシラの観察を空振りした27日にも、青年は同じように計測していました。
今回はシモバシラの画像を撮ることもなく、時間がたっぷりありましたので、青年に話しかけてみました。最初は圏央道のトンネル掘削による、地中の水分とシモバシラへの影響を調べていると思いました。ところが青年が話すには、彼は北海道の大学院生で、高尾山のシモバシラを論文にすることが目的で、高尾に通っていることがわかりました。


(北の地に向かった旅立ちの朝のシモバシラ・・・2011.01.27)

 
(シモバシラの旅立ちの準備)    (高尾で見た計測器の一部)

北海道の大学といえば、長岡藩士森源三ゆかりの札幌農学校だと思いました。そんなことからゆかりの大学で学ぶ院生に、研究用のシモバシラを贈ることになったのでした。
 「クラーク博士と河井家の末裔」


(今朝の寅太の庭のシモバシラ・・・2011.01.28)

(寅太の庭)
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高尾山のシモバシラⅣ(その2)

2011-01-27 10:55:49 | 四季
(つづき)
シモバシラは空振りでしたが、富士山は左の稜線に雲がかかるもよく見えました。もみじ台はダイヤモンド富士で人気のある場所ですが、山の間から綺麗な富士山が見られます。
庭のシモバシラはほとんど同じ形を繰り返しています。


(もみじ台から、大室山、加入道山、富士山・・・2011.01.25)

 
(もみじ台から)              (一丁平から)

 
(一丁平と小仏城山の中間)         (小仏城山から)

 
(少なかったシモバシラ)


(今朝の寅太の庭のシモバシラ・・・2011.01.27)

(高尾山と寅太の庭)      (おわり)
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高尾山のシモバシラⅣ(その1)

2011-01-26 11:02:47 | 四季
昨日の記述にある通り、タイトルはシモバシラⅣですが、4回目の高尾山のシモバシラ観賞は空振りに終わりました。今回はうっすらと降った雪を中心に、次回は富士山を載せたいと思っています。


(これぐらいのシモバシラが数本でした・・・2011.01.25

 
(うっすらと積もった雪、日影林道とシモバシラ群生地)

 
(カシワバハグマとアズマヤマアザミの氷柱)

 
(クマザサとサイハイランの葉に乗った雪)


(今朝の寅太の庭のシモバシラ・・・2011.01.26

(高尾山と寅太の庭)      (つづく)
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高尾山のシモバシラⅢ(その3)

2011-01-25 15:29:42 | 四季
1月14日のシモバシラⅢの最終回です。昨晩は雨が降っていましたので、朝のシモバシラは発生しないと思っていたのですが、明け方に急に冷え込んだようです。庭のシモバシラはいつもと少し違った形になり、これは期待がもてると思い、高尾の方向に車を走られました。昨晩の高尾は雪がうっすらと降ったのですが、雪の下はカラカラに乾燥していました。小さなシモバシラが数本程度で、正午には家に戻るという空振りの一日でした。


(高尾山のシモバシラ・・・2011.01.14)

 

 

 


(今朝の寅太の庭のシモバシラ・・・2011.01.25)

(高尾山と寅太の庭)      (おわり)
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久しぶりの雨

2011-01-24 11:53:38 | 四季
今朝起きてみたら、雨はあがっていましたが、昨夜は久しぶりに雨が降ったようです。庭の寅太観測所のシモバシラは全く発生していません。 カメラを持って外に出たのですが、恒例の行事になっていますシモバシラの撮影ができず、庭のロウバイ(蝋梅)、コシノカンアオイ(越の寒葵)、ショウジョウバカマ(猩猩袴)、コケリンドウ(苔竜胆)などにレンズを向けてみました。


(久しぶりの雨に濡れるロウバイ)

 
(長岡生まれのコシノカンアオイとショウジョウバカマ)

 
(茎が伸び始めたコケリンドウ)

(寅太の庭)
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ゴクラクチョウカ

2011-01-23 21:13:21 | 山野草
サカタのタネグリーンハウスで咲いていたが、ゴクラクチョウカ(極楽鳥花)というよりは ストレリチアの名で知られている。温室に行くといつも咲いているが、ブログでは初登場である。鳥のくちばし状の花が変わっている。


(一度見たら忘れられない花)

 

極楽鳥花 /ゴクラクチョウカ科(バショウ科)/ストレリチア属。
南アフリカ原産の常緑多年草。(観葉植物)別名ストレリチア。明治初期に渡来。
葉は長楕円形で、葉柄と花茎は1mで、花茎の先に苞に包まれた橙黄色の萼片に青い花弁の花を咲かせる。
名前の由来:美しい飾り羽を持つ極楽鳥に似ていることからこの名が付いた。
花期:温室(年間)。
(相模原市サカタのタネグリーンハウス)
【山野草の索引(2)へ】

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ヒメツルソバの氷柱

2011-01-23 11:02:58 | 四季
今朝の庭のシモバシラも、ほとんど変わらず、夜間に氷柱ができ、昼間溶けることの繰り返しです。
今年最後の種類となるであろう氷柱は、ヒメツルソバ(姫蔓蕎麦:別名ポリゴナム)です。1月初めに根元に氷塊が確認され、こちらも毎日同じような形です。すでに葉はあるませんが、水分を吸い上げるのは根と茎が生きている証拠です。


(ヒメツルソバの氷柱2011.01.23)


(秋のヒメツルソバ)

 
(今朝の庭のシモバシラ2011.01.23)


(寅太の庭)
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ダイヤモンド富士は雲の中

2011-01-22 09:11:08 | 四季
きょうのトップを飾る画像は、ダイヤモンド富士を予定していましたが、陽が落ちる頃には雲の中でした。これから外出しますので、翌日には富士山の山頂を通り越しているものと思われます。
しからば夕焼けを撮ろうと、中村雨紅の実家の近くに移動しました。看板にある夕焼けに富士山が見えますが、この付近から見た富士山でしょう。「夕焼小焼で日がくれて 山のお寺の鐘がなる・・・」、歌詞に寺が出てくることに気付きました。
中村家の隣に寺があり、屋根に「一文字に三ツ星」の毛利家(大江氏)の家紋を見つけました。鎌倉時代に大江広元が多摩のかなりの範囲を支配し、八王子を中心に「一文字に三ツ星」紋の寺や神社をよく見ます。そもそも「一文字に三ツ星」は、親王の階級(一品~四品)の最も高い位となる一品親王(いっぽんしんのう)の「一品」を図案化したものです。大江氏は平城天皇(へいぜいてんのう)の第一皇子阿保親王(あぼしんのう)です。
寺はいつもの撮影ポイントからやや北になりますので、大寒とダイヤモンド富士の一致する場所かもしれません。雨紅の「夕焼小焼」、「一文字に三ツ星」紋、「大寒のダイヤモンド富士」、この土地には何か謎が隠されているように感じました。ところでこの日の夕焼けは、あまり綺麗ではありませんでした。


(ダイヤモンド富士は雲の中2011.01.21)

 
(夕焼小焼の中村雨紅の実家の看板と庭のスイセン)

 
(中村家の隣の寺)          (一文字三ツ星)

 
(寺にかかる富士山、ここが雨紅の夕焼小焼の里か?)

【夕焼小焼の里はどこか】夕焼小焼の里に関しては諸説がありますが、いままでは雨紅が生まれた恩方説、作曲者の草川信の善光寺平説が有力とされています。でも夕暮れに恩方では、満月がかからないという人もいます。そんなことからこの曲が発表された時に住んでいた中村家がある町田説も浮上するのです。

 
(今朝の庭のシモバシラ2011.01.22)

(多摩丘陵)
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