今週は日曜から夕日が沈む時に、富士山は見えませんでしたが、きのうは綺麗に晴れていました。前回、富士山の左稜線の谷間に夕日が沈みましたが、きのう沈む位置は富士山を飛び越えた右側で、期待のダイヤモンド富士は1年後になりました。
中村雨紅の実家の隣の寺、そして寺には高貴な一品親王(いっぽんしんのう)の一文字に三ツ星紋から、ここが夕焼小焼の里ではないかと思ったのですが、1週間通うとますますその感が強くなりました。夕焼とともに無数のからすが、見渡す限りの遠方から寺の裏山目指して飛んでくるのです。写っている烏の数は、画像の最初から、13-5-2-7-9-8羽ですが、3枚目の画像で2羽がわかりますか。 昨日のタイトルは「庭のシモバシラのいい日旅立ち」でしたが、高尾のシモバシラの記載の後で、少し誤解を招いたようです。シモバシラは寅太の庭のものでした。 (多摩丘陵と寅太の庭)
中村雨紅の実家の隣の寺、そして寺には高貴な一品親王(いっぽんしんのう)の一文字に三ツ星紋から、ここが夕焼小焼の里ではないかと思ったのですが、1週間通うとますますその感が強くなりました。夕焼とともに無数のからすが、見渡す限りの遠方から寺の裏山目指して飛んでくるのです。写っている烏の数は、画像の最初から、13-5-2-7-9-8羽ですが、3枚目の画像で2羽がわかりますか。 昨日のタイトルは「庭のシモバシラのいい日旅立ち」でしたが、高尾のシモバシラの記載の後で、少し誤解を招いたようです。シモバシラは寅太の庭のものでした。 (多摩丘陵と寅太の庭)
旅立つなら大安の日が良いと思い、昨日庭の鉢植えのシモバシラを北海道に旅立たせました。これに至るまでには、いくつかの偶然がありました。高尾山のシモバシラを観賞に行くと、ほぼ決まった位置で、計器で地中の水分やシモバシラの長さをメジャーで計る青年がいたんです。先日のシモバシラの観察を空振りした27日にも、青年は同じように計測していました。
今回はシモバシラの画像を撮ることもなく、時間がたっぷりありましたので、青年に話しかけてみました。最初は圏央道のトンネル掘削による、地中の水分とシモバシラへの影響を調べていると思いました。ところが青年が話すには、彼は北海道の大学院生で、高尾山のシモバシラを論文にすることが目的で、高尾に通っていることがわかりました。
「クラーク博士と河井家の末裔」 (寅太の庭)
今回はシモバシラの画像を撮ることもなく、時間がたっぷりありましたので、青年に話しかけてみました。最初は圏央道のトンネル掘削による、地中の水分とシモバシラへの影響を調べていると思いました。ところが青年が話すには、彼は北海道の大学院生で、高尾山のシモバシラを論文にすることが目的で、高尾に通っていることがわかりました。
(北の地に向かった旅立ちの朝のシモバシラ・・・2011.01.27)
「クラーク博士と河井家の末裔」 (寅太の庭)
サカタのタネグリーンハウスで咲いていたが、ゴクラクチョウカ(極楽鳥花)というよりは ストレリチアの名で知られている。温室に行くといつも咲いているが、ブログでは初登場である。鳥のくちばし状の花が変わっている。
極楽鳥花 /ゴクラクチョウカ科(バショウ科)/ストレリチア属。
南アフリカ原産の常緑多年草。(観葉植物)別名ストレリチア。明治初期に渡来。
葉は長楕円形で、葉柄と花茎は1mで、花茎の先に苞に包まれた橙黄色の萼片に青い花弁の花を咲かせる。
名前の由来:美しい飾り羽を持つ極楽鳥に似ていることからこの名が付いた。
花期:温室(年間)。
(相模原市サカタのタネグリーンハウス)
【山野草の索引(2)へ】
南アフリカ原産の常緑多年草。(観葉植物)別名ストレリチア。明治初期に渡来。
葉は長楕円形で、葉柄と花茎は1mで、花茎の先に苞に包まれた橙黄色の萼片に青い花弁の花を咲かせる。
名前の由来:美しい飾り羽を持つ極楽鳥に似ていることからこの名が付いた。
花期:温室(年間)。
(相模原市サカタのタネグリーンハウス)
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今朝の庭のシモバシラも、ほとんど変わらず、夜間に氷柱ができ、昼間溶けることの繰り返しです。
今年最後の種類となるであろう氷柱は、ヒメツルソバ(姫蔓蕎麦:別名ポリゴナム)です。1月初めに根元に氷塊が確認され、こちらも毎日同じような形です。すでに葉はあるませんが、水分を吸い上げるのは根と茎が生きている証拠です。
(寅太の庭)
今年最後の種類となるであろう氷柱は、ヒメツルソバ(姫蔓蕎麦:別名ポリゴナム)です。1月初めに根元に氷塊が確認され、こちらも毎日同じような形です。すでに葉はあるませんが、水分を吸い上げるのは根と茎が生きている証拠です。
(寅太の庭)
きょうのトップを飾る画像は、ダイヤモンド富士を予定していましたが、陽が落ちる頃には雲の中でした。これから外出しますので、翌日には富士山の山頂を通り越しているものと思われます。
しからば夕焼けを撮ろうと、中村雨紅の実家の近くに移動しました。看板にある夕焼けに富士山が見えますが、この付近から見た富士山でしょう。「夕焼小焼で日がくれて 山のお寺の鐘がなる・・・」、歌詞に寺が出てくることに気付きました。
中村家の隣に寺があり、屋根に「一文字に三ツ星」の毛利家(大江氏)の家紋を見つけました。鎌倉時代に大江広元が多摩のかなりの範囲を支配し、八王子を中心に「一文字に三ツ星」紋の寺や神社をよく見ます。そもそも「一文字に三ツ星」は、親王の階級(一品~四品)の最も高い位となる一品親王(いっぽんしんのう)の「一品」を図案化したものです。大江氏は平城天皇(へいぜいてんのう)の第一皇子阿保親王(あぼしんのう)です。
寺はいつもの撮影ポイントからやや北になりますので、大寒とダイヤモンド富士の一致する場所かもしれません。雨紅の「夕焼小焼」、「一文字に三ツ星」紋、「大寒のダイヤモンド富士」、この土地には何か謎が隠されているように感じました。ところでこの日の夕焼けは、あまり綺麗ではありませんでした。 【夕焼小焼の里はどこか】夕焼小焼の里に関しては諸説がありますが、いままでは雨紅が生まれた恩方説、作曲者の草川信の善光寺平説が有力とされています。でも夕暮れに恩方では、満月がかからないという人もいます。そんなことからこの曲が発表された時に住んでいた中村家がある町田説も浮上するのです。 (多摩丘陵)
しからば夕焼けを撮ろうと、中村雨紅の実家の近くに移動しました。看板にある夕焼けに富士山が見えますが、この付近から見た富士山でしょう。「夕焼小焼で日がくれて 山のお寺の鐘がなる・・・」、歌詞に寺が出てくることに気付きました。
中村家の隣に寺があり、屋根に「一文字に三ツ星」の毛利家(大江氏)の家紋を見つけました。鎌倉時代に大江広元が多摩のかなりの範囲を支配し、八王子を中心に「一文字に三ツ星」紋の寺や神社をよく見ます。そもそも「一文字に三ツ星」は、親王の階級(一品~四品)の最も高い位となる一品親王(いっぽんしんのう)の「一品」を図案化したものです。大江氏は平城天皇(へいぜいてんのう)の第一皇子阿保親王(あぼしんのう)です。
寺はいつもの撮影ポイントからやや北になりますので、大寒とダイヤモンド富士の一致する場所かもしれません。雨紅の「夕焼小焼」、「一文字に三ツ星」紋、「大寒のダイヤモンド富士」、この土地には何か謎が隠されているように感じました。ところでこの日の夕焼けは、あまり綺麗ではありませんでした。 【夕焼小焼の里はどこか】夕焼小焼の里に関しては諸説がありますが、いままでは雨紅が生まれた恩方説、作曲者の草川信の善光寺平説が有力とされています。でも夕暮れに恩方では、満月がかからないという人もいます。そんなことからこの曲が発表された時に住んでいた中村家がある町田説も浮上するのです。 (多摩丘陵)