「牧野氏まつり」の前日は前橋市主催による懇親会があり、地元前橋市と豊川市牛久保そして長岡市の懇親を深めました。牧野氏が大胡から越後国長峰(上越市)を経て長岡に移った後は、大胡城は前橋城の酒井雅楽頭守(うたのかみ)の支配下におかれましたが、雅楽頭守の姫路城移転に伴い廃城となりました。さていよいよ牧野氏まつりのメインイベントの火縄銃の演技が大胡城跡で行われます。
(五間梯子の隊旗を背に養林寺に集結した牧野隊)
(鉄砲隊の行進と指揮するのは17代長岡藩当主の嫡子牧野忠慈さま)
400年経ったいまも大胡の人は牧野家に親しみを持っているようです。特に人気があるのは康成の正室で、酒井忠次の娘で名は於虎(鳳樹院)といい、たいそうな美人だったと伝わります。嫡子は大胡藩2代藩主そして長岡藩初代藩主になる忠成で、娘に徳川家康の養女となって福島正則に嫁ぐ昌泉院がいる。その妹には平戸の松浦隆信に嫁ぐ永昌院がいます。永昌院の子孫の中山慶子(よしこ)は、孝明天皇の典侍となり明治天皇の生母となりました。長岡の米百俵は小泉総理の所信表明演説で全国的に知られることになりました。米百俵の逸話の主人公は大胡で採用された小林虎三郎です。先祖は上州赤堀城主で、その末裔と伝わります。(前橋市大胡)